看守や尋問官の「気まぐれ」では決してない…巧妙な「計算」のもとで囚人の「心理」を完全に操るイラン刑務所の意外な”実態”
巧妙に計算された態度
普通に考えれば、刑務所のせいで、私の喜びや考え方がこんなにもちっぽけなものになってしまったのは悲しいことです。それでも、看守との出会いや、そのときの心の動きは私にとって大切でした。しかし尋問官に対しては、全くそんな気持ちにはなりませんでした。彼らは常に私を叱責する理由を探していて、私も怒りと憎しみしか感じませんでした。 ――尋問官は看守に、囚人の扱いを指示していたと思いますか? もちろんそうでしょう。独房の外で足音がすると、私はいつも立ち上がって、誰が来るのかのぞき窓から見ていました。ある日、看守がドアのすぐ近くに立っていたのですが、彼女はドアをいきなり開け、今度こんなことをしたら、のぞき窓を開かないようにしてやる、と警告しました。 ところが、私に同房の囚人が連れてこられたとき、同じ看守が、私がのぞき窓から見ることすら許さなかったあの看守が、独房の前で立ち止まって、世間話をするようになったのです。私は尋ねました。私が独房にひとりだったときは決して話しかけてこなかったのに、尋問官が同房の囚人をここに入れると決めた途端、私に話しかけるようになったのはなぜかと。看守はそんなことはないと否定しましたが、実際にそうでした。 人間を狭い空間に閉じ込めてどうするのか、そして看守は囚人をどう扱うのか、すべてが巧妙に計算されているということが分かります。たとえば、囚人が独房から出されると、看守の態度が軟化し、言葉少なに話しかけてくるのです。 翻訳:星薫子
ナルゲス・モハンマディ(イラン・イスラム共和国の人権活動家・ノーベル平和賞受賞者)