「マッカーサーと対談」上皇さまは“歴史の証人”、佳子さまらが学ばれる“祖父からの証言”
明治以降の皇室で最高齢となる101歳で亡くなった三笠宮妃百合子さまの本葬に当たる「斂葬の儀」が11月26日、東京都文京区の豊島岡墓地で営まれた。秋篠宮ご夫妻や次女の佳子さま、長男の悠仁さま、それに天皇、皇后両陛下の長女、愛子さまら皇族、石破茂首相ら三権の長、ゆかりのあった人など約500人が参列した。喪主は、孫の三笠宮家の彬子さまが務めた。 【写真】学生時代の佳子さま、割れた腹筋が見える衣装でダンスを踊ることも
両陛下と上皇ご夫妻は葬儀に出席せず
両陛下と上皇ご夫妻は慣例で葬儀に出席せず、両陛下は、使者として侍従長らを派遣し、上皇ご夫妻は、上皇侍従長らを送った。 午前10時からの「葬場の儀」は、司祭長が祭壇の前で百合子さまの生涯に触れる「祭詞」を読み上げた。両陛下や上皇ご夫妻の使者に続き、彬子さまが祭壇に玉串をささげ、深々と頭を下げた。秋篠宮ご夫妻や佳子さま、悠仁さまたちも順番に拝礼した。 「葬場の儀」に先立ち、百合子さまの柩を乗せた霊車は午前9時過ぎ、港区の赤坂御用地にある三笠宮邸を出発し、午前9時35分ごろ、豊島岡墓地正門に到着した。この日午前8時過ぎから、百合子さまに最後のお別れをするため、私は豊島岡墓地正門前の、車道を挟んだ反対側の歩道上で霊車の到着を待ち受けていた。晴れてはいたが、とにかく寒かった。1時間以上、屋外にいると手の指先がかじかんできた。 周辺は制服の警察官や警備担当者らでいっぱいだった。通勤途中の会社員や幼稚園児を連れた母親たちが、私の背後を次々と通り過ぎた。時折、青い空を見上げ、黄色や赤色に色づき始めた豊島岡墓地近くの樹木を眺めながら、寒さをしのいでいた。午前9時前、「あれは、秋篠宮ご夫妻を乗せた車ですかね」と、隣にいた人が気づき、私に声をかけた。 それらしい車が正門から入っていったが遠いので、車内の様子は確認できなかった。「これは、佳子さまたちかな」。また、声をかけられた。しばらくすると、車の通行が規制されたようだ。目の前の道路から一般車両がなくなり、白バイや警備車両に守られながら百合子さまの柩を乗せた黒塗りの霊車が、静かに正門から豊島岡墓地へと入った。宮内庁の職員たちだろうか、深々と頭を下げていた。 百合子さまの夫である三笠宮さまは2016年10月27日、100歳で亡くなったがその伝記『三笠宮崇仁親王』が、三笠宮崇仁親王伝記刊行委員会によってまとめられ、出版されている。以前、この連載で触れたが、三笠宮さまの誕生から晩年までをたくさんのエピソードを交えて、やわらかく、明るく紹介したのがこの中にある、百合子さまのオーラルヒストリー(口述記録)である。