「中村雅俊芸能生活50周年記念公演」中村雅俊・久本雅美・田中美佐子が意気込みを語る
デビュー3年目『俺たちの旅』で訪れた転機!
――ご自身の中で転機となった作品や出来事はありますか? 中村 意識が変わったのが『俺たちの旅』ですよね。大学生の頃から文学座にいて、(文学座の先輩である)松田優作さんと刑事ドラマ(『太陽にほえろ!』にゲスト出演)をやったり、学校の先生役をやったりして、自分の中ではあまり自覚がなくて学生気分のところがあったけど、『俺たちの旅』をやった時に「こんな考えでやってちゃダメだ」という気持ちになったんですよね。 久本 デビューして何年目の頃ですか? 中村 3年目かな。デビューして3年が経って「俺はこの世界でやっていくんだぞ」という気持ちになったんですよね。 田中 いきなりスターになっちゃったからね。(ドラマがオンエアされて)次の日にスターになった感じだったもん。 中村 本当にね。デビュー作が主役で当時、先生役は歌を出すって決まってて、それがいきなりオリコンで1位になっちゃって…。 久本 どの曲ですか? 中村 「ふれあい」です。 久本 それが「ふれあい」でしたか!すごい!でも、なんでデビュー3年目に「このままじゃいけない」って思ったんですか? 中村 自分の甘えがね。優作さんにもよく言われたんですけど、歌を出すことになって「シュン、お前、役者ってのは歌なんて歌うもんじゃないんだよ」って。 田中 全然違うタイプだもんね。 中村 そのくせ、自分も出すんだけどね(笑)。でも何かと俺に干渉する人だったんだよね。 田中 うらやましかったんじゃない? 中村 いやいや、そんなことはないと思うけど、文学座の先輩でマネージャーも一緒だったということもあったからね。 久本 かわいかったんだと思いますよ。 中村 でも『俺たちの旅』をやって、それが思いのほかヒットした時、「このままじゃダメだろう」みたいな、甘えた学生気分じゃいけないなと思ったんだよね。 久本 メチャクチャ感動して見てましたよ。 中村 あのドラマは俺にとっては試行錯誤の連続で、プロデューサーにとっても試行錯誤だったんだよね。それまで大学生を主役にしたドラマって、あまり当たってなかったんですよね。このドラマはどういうドラマなのかがわからないというところが多くて、そこで苦肉の策として出てきたのが(各話の最後に登場する)詩だったの。 久本 ノートに書き写してためてた! 「友情とは」とか「仲間とは」とか名言ばかり。 中村 「これはこういうドラマです」と補足するためだったの。 久本 でもデビュー3年目で「このままじゃいけない」と思ったけど、その後も遅刻してたんでしょ(笑)? 田中 私と共演した時もしてた(笑)。 久本 計算が合わないんだよね(笑)。 中村 ……(苦笑)。 田中 芸能界って遅刻は絶対に許されない場所なのに、なぜか雅俊さんは許されちゃうんですよ。「あぁ、雅ちゃん、また遅刻なのね」って(笑)。みんな怒らないのよ。 久本 腹立つわぁ…(笑)。 田中 「俺、まだ(酒が)抜けてないんだよ…」なんて言いつつ、でもセリフはちゃんと入ってるしね。怒る気にもなれないのよ。 久本 人柄が良いからですよね。 中村 そんな毎回じゃないですよ(笑)。 田中 現場がすごく楽しかったから、夜中まで撮ろうが別にいいやって感じだったし、主演で忙しくてストレスもあるだろうから、飲みに行きたくなるのもわかるし、朝来なくても「昨日、飲んだんだろうな」って。 久本 みんな優しいなぁ。でも、ひとりやふたり、本当は腹立ててた人もいたと思う(笑)。 中村 いたでしょうね。申し訳ない(笑)。 久本 いま、若い子が遅刻して来ても大丈夫なんですか? 中村 というか、遅刻してくる人っていまはいないよね。 久本 というか、みんな「芸能界では遅刻はダメ」って叩き込まれてるから(笑)! 田中 雅俊さんの周りにつくスタッフさんもみんなおおらかなんですよ。「みんな、いけますか? じゃあ始めましょう」みたいな感じで。人柄だね、やっぱり。 久本 人柄だ。でも私に言わせると、最低だな(笑)。 中村 本当だよね(苦笑)。デビューしてずっと一緒のスタッフで、飲みに行くのもスタッフたちとだったし。 久本 家族みたいになっちゃったんですね。 中村 当時、スタジオが近かったから、スタッフがよくウチにも遊びに来てたのよ。途中でプロデューサーから「雅俊の家に行くの禁止令」が出たからね(笑)。 田中 でもね、撮影本番になるとすごかったですから。 中村 当時は忙しかったね。いまみたいに1クールで、あとは休めるって感じじゃなくて、半年とか1年とかやってて、こっちが終わりそうになると、また別の番組が始まるようなスケジュールがずっと続いてたから。 久本 あの頃は本当にアイドルだったもん。芸能雑誌にポスターや独占インタビューがあって。