核なき平和への一歩になって…被団協にノーベル賞 核の脅威高まる世界情勢下、今なお苦しむ被爆者たちは、受賞に「平和のくさび」の役割を期待する
ノルウェーのノーベル賞委員会は11日、2024年のノーベル平和賞を日本全国の被爆者らでつくる日本原水爆被害者団体協議会(被団協、東京)に授与すると発表した。「被爆者が二度と出ない世界になってほしい」。鹿児島県内の被爆者や被爆2世らは恒久平和実現を願った。識者は核廃絶に向けた議論の高まりに期待した。 「最初は本当かなと思った。うれしいの一言」。被団協の加盟団体で、県内唯一の被爆者組織である県原爆被爆者協議会の大山正一事務局長(67)=鹿児島市=は、ニュース速報で知り驚いた。「原爆被害を若い人にも知ってもらうきっかけになれば。核のない世界への一歩になってほしい」 広島、長崎への原爆投下から来年で80年。霧島市の女性(62)は、父親が10歳の時に広島市内で被爆した経験を聞いて育った。「唯一の被爆国だが関心が薄れていると感じている。被爆2世も高齢化が進む。原爆の悲惨さが世界に発信されることはありがたい」と歓迎した。
今もなお苦しむ人は多い。薩摩川内市祁答院の被爆2世の女性(63)は、9歳の時に広島で被爆した母(88)と一報を聞いた。母は喜びつつ、「地獄のような情景を思い出す」と語ったという。女性は「平和を願う母の思いをつなぐためにも、できることを続けようと改めて強く感じた」と誓いを新たにした。 原爆研究に長年携わる広島大学平和センター長の川野徳幸教授(58)=志布志市出身=は、核の脅威が高まりつつある世界情勢に触れ、「今回の受賞は、国際社会に対する平和のくさびとしての役割を期待するところもあるのかもしれない」と指摘。「国内で核に関する議論が高まるきっかけになればいい」と話した。
南日本新聞 | 鹿児島
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