“能登の栗”へ恩返し 被災し浜松移住の農家、「遠州和栗」ブランド化尽力
昨年1月の能登半島地震で被災し、浜松市浜名区に移住した松尾和広さん(51)は遠州地域の栗のブランド化を進める「遠州・和栗プロジェクト」に加わり、栗農家としての経験を生かした生産指導などを通じて同地域の栗の生産力強化に注力している。「場所が変わっても、堂々と誇れるものをつくっていく」。プロジェクトをけん引することが“能登の栗”への恩返しにつながると信じている。 地震発生は初詣から帰宅した直後。石川県輪島市の自宅リビングに家族4人でくつろいでいた。揺れが収まり家族の無事を確認し、床に散らばったおせちを拾って食べると、すぐに外に出た。「みんなで避難することしか頭になかった」。振り返ると作業場を兼ねた自宅は屋根が落ち、全壊状態だった。 松尾さんは同県能登町で2005年に栗の生産を始めた。師匠となる先輩はおらず、教本を参考に試行錯誤の日々。「何本も枯らした。命をもって教えてくれた能登の栗の木が私の先生だった」と振り返る。徐々に栗の生産技術や加工方法を確立し、地震前の5年間は軌道に乗っていた。焼き栗は評判で、農家や加工業者が全国から視察に来た。
浜松市への移住を決めたのは、以前から交流していた春華堂(同市中央区)からプロジェクトへの誘いを受けたから。松尾さんが19年間で培った高度な知識と経験が求められた。 24年3月の移住後も、片付けや栗の世話のために能登に通った。栗園は友人に引き継ぐ。10月、最後となった収穫を終えると、栗の木へ感謝の気持ちがこみ上げたという。「10年前だったら静岡県に呼ばれるほどの技術もなかった。ここで成長させてもらった」 松尾さんはプロジェクトに参加しながら、自身も新たな知識を得るため勉強を重ねる。和栗の価値向上を目指す取り組みが、能登の栗農家の支援にもつながるとの思いが胸にある。