《浸透する終末期医療》“中途半端な情報”に惑わされ、より苦しい最期になるケースも 医師は「終末期こそ、患者と家族は“わがまま”になるべき」と助言
「老後」の時間が長くなったいまの時代、人生の最期を穏やかな気持ちで迎えるための入念な準備ができるようになってきている。最後の準備となるのが「旅立ち方」を決めることだ。 【表】失敗しないための「終末期医療」注目ポイント
医療の進歩によって、体が衰弱したとしても、できる限り命を延ばし、1日でも長く生きるための選択肢は大きく増えた。しかし一方で、それを本人や家族が本当に望むのかという疑問も投げかけられる。 「終活の概念や知識が浸透した現在、終末期にどんな医療を受けたいかを考えたり、家族間で議論したりすることは一般的になりつつあります」 そう語るのは、『後悔しない死の迎え方』の著者で1000人以上の看取りに接した経験のある看護師の後閑(ごかん)愛実さんだ。 「老衰の患者さんに点滴や、胃や腸に通したチューブを用いて栄養を注入する経管栄養などを行うと、痰が増えて何度も吸引が必要になったり、浮腫が進んで体形が変わったり内出血が進むなどといった苦痛を味わうことになります。 終活の一般化に伴う終末期医療の知識の浸透により、そうした延命治療は苦しみを伴うことが周知され、なるべく自然な形で穏やかに死を迎えたいと望む人が増えています」(後閑さん・以下同) しかし、関心が高まったゆえに、中途半端だったり間違った情報が紛れていることが少なくない。代表格が、口から食事をとれなくなった場合などに、胃に直接栄養を入れる経管栄養の一種である「胃ろう」についての考え方だ。
「患者さんやご家族から『胃ろうは苦しいと聞くからとにかくやめてほしい』と言われることが多くありますが、脳梗塞の急性期やがんの治療中などは、胃ろうで効率的に直接栄養を体内に取り込んだことでリハビリに精が出て、回復した患者さんもいる。 胃ろうを拒否した場合、鼻から栄養を入れる経鼻経管栄養という方法が取られる場合があり、『胃ろうをするくらいなら』と選ぶかたもいますが、苦しみは胃ろう以上に大きい。無意識に体を動かして管を抜こうとする患者さんも多く、身体拘束されるケースもある。穏やかな最期とはほど遠いと言わざるを得ません」