尹錫悦が陰謀論に乗っかった理由【寄稿】
キム・ジュ二ル|時事評論家
なぜ、尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領は非常戒厳を宣布したのだろうか。戒厳に深く参加した人物の証言と控訴状の内容によると、尹大統領は「韓国社会のあちこちに暗躍している従北(北朝鮮追従)主体思想派をはじめとする反国家勢力を片付けない限り、大韓民国の未来がない」という趣旨の話を周辺にたびたびしていたという。だが、果たしてこれだけだろうか。 歴史学者リチャード・ホフスタッターは1964年、著書『米国政治におけるパラノイド・スタイル(原題:The Paranoid Style in American Politics) 』を書いた。同書を書くようになった背景には「左派の陰謀で米国が脅かされている」という主張で当時共和党大統領選候補になったバリー・ゴールドウォーターがいた。ゴールドウォーターは小型核兵器を南ベトナム国境に使用しようと主張し、クレムリンに核兵器を発射しようという発言までした。1964年の米共和党大統領候補受諾演説では、「自由の守護において過激主義は悪ではありません。正義の追求において節制は美徳ではありません」という言葉で強硬保守層の歓声を引き出した。 しかし、ジョン・F・ケネディ大統領の死から1年後の1964年の大統領選挙で、ゴールドウォーターは現職のリンドン・ジョンソン大統領に選挙人団では434人、得票率では22.6ポイントをリードされ、歴史的な敗北を記録した。だが、ゴールドウォーターは「ミスター保守主義者」と呼ばれるほど、その後の米国保守主義と共和党政界に大きな影響を及ぼした。ゴールドウォーターは、米国が極端に左傾化しており、これを防ぐために手段と方法を選んではならないと考えていた。ホフスタッターはゴールドウォーターのような陰謀論者を、迫害妄想、極端な疑い、自己盲信などの性向を見せる「憎悪に包まれた偏執病患者(パラノイア)」として描写した。ゴールドウォーターを尹錫悦に変えても、全く違和感がない。 『陰謀論の時代』を書いた西江大学のチョン・サンジン教授によると、陰謀論は苦痛を説明する理論だ。過去、中世には苦痛の理由を神の摂理に求めた。中世国家が宗教を受け入れたのも、なぜ私が今苦しいのかを説明してくれたからだ。現世の苦痛が来世の福と永生につながるという、それなりに合理的な説明だった。ところがルネサンス以降、宗教が力を失うとともに、新たな説明のメカニズムが必要になった。そこで登場したのがまさに陰謀論だ。自分あるいはこの社会が苦しい理由は、公的な社会システムとは別に彼らを動かす闇の勢力があるためだという主張だ。「闇の政府(deep state)」、「秘密結社イルミナティ」、「ロスチャイルド家」、あるいは「従北主体思想派」へとその名前が変わるだけだ。 尹大統領は自身が苦しむ理由を、大韓民国に暗躍する従北主体思想派に求めた。キム・ヨンヒョン前国防部長官の控訴状関連の報道によると、昨年11月24日、尹大統領は(政治ブローカー)ミョン・テギュン疑惑などを挙げ、「これが国といえるか。建て直さなければなならない」と述べたという。自分の声が録音された公認介入を示す通話記録によって政権の道徳性が致命傷を負った状況で、尹大統領が非難した対象はミョン氏でも、対話を仲介した夫人のキム・ゴンヒ氏でもなかった。合理的な問題提起をした野党だった。尹大統領は非常戒厳の名目を、救国のための決断、従北主体思想派の追放、未来世代のための特段の対策と描写したが、実際は自己保身だったと思われる。 だから、尹大統領が固く信じていた不正選挙陰謀論は、戒厳の原因というよりは、戒厳の自己合理化である可能性が高い。不正選挙は戒厳を通じてのみ正せるものではないからだ。「ミョン・テギュン・ゲート」と「キム・ゴンヒ特検」で自身と妻に危険が迫ったため、不正選挙陰謀論を利用して戒厳の名目を探そうとした、とみる方がより合理的だ。結局、ゴールドウォーターと尹錫悦の違いは、前者が信念型陰謀論者なら、後者は私益追求型陰謀論者という点にあるだろう。 ハーバード大学ロースクールのキャス・サンスティーン教授は著書『ルーマーについて(原題:On Rumors: How Falsehoods Spread, Why We Believe Them, and What Can Be Done)』で、噂を広める人の種類を、自分の利益を追求する者、具体的な目的ではない一般的な利益を追う者、他人のために働く者、他人に害を及ぼそうとする悪意的な者などに分類した。尹錫悦はどこに属するだろうか。口を開けば法治主義を強調してきた人が、裁判所が発付した令状の執行も拒否し、官邸で居座りを続けている。アスファルト保守に英雄として崇められているが、実は尹錫悦は英雄ではなく、けちくさい利己主義者だ。本人が生き残るために陰謀論を利用して人々を動員している。 極右ユーチューバーは人々を扇動し、億台の収益を上げている。かわいそうなのは、何も知らずに、尹錫悦の私利私欲に動員されている平凡な保守の市民たちだ。 キム・ジュ二ル|時事評論家(お問い合わせ japan@hani.co.kr )