「イスラム国」はなぜ国家ではないのか?
南ローデシアと北キプロスの例
しかし、これまでにも、その土地の支配権を認められている政府の承認ぬきに独立を宣言したものの、国際的に「国家」と承認されなかったケースがあります。南ローデシア(現ジンバブエ)や北キプロスは、その典型例です。 英国の委任統治領だった南ローデシアでは、白人が全てを握る植民地時代の人種差別的な体制で、1965年に独立を宣言。一方、ギリシャ系人とトルコ系人の争いが絶えなかったキプロスでは、1974年にトルコが軍事介入し、これに実質的に占拠された北部が、1983年に独立を宣言しました。しかし、いずれも国連安保理で非難決議が採択され、これらを「国家」として承認する国はほとんどありませんでした。 これらに関して、国際司法裁判所は2008年のコソボ独立に関する判決文のなかで、「一方的に独立を宣言した」ことではなく、「違法な武力の行使、または一般国際法、…一般国際法の規範の多大な違反」と結びついていたことが、国際的な不承認に繋がったと指摘しました。つまり、違法な占領による場合や、特定の民族や宗派を一方的に抑圧したりする場合、国家の独立は承認されないと述べているのです。 これに沿って考えると、明らかに違法な軍事活動によって一定の地域を支配し、さらにスンニ派ムスリム以外の人権をほぼ全く無視する体制に基づくISの「独立宣言」は、国際法上の基準を満たしていないことになります。
「国家として承認」には政治性も
その一方で、「国家としての承認」は法理論だけでなく、「承認を行う権限」をもつ、それぞれの国との実際の外交関係によって大きく左右されます。古い例をあげると、1776年の米国の独立宣言を宗主国だった英国が承認したのは、独立戦争後の1783年でしたが、フランスは1778年に承認していました。これには、英国との対抗という国際政治上の要請が大きく影響していました。 このように、国家としての要件の有無といった法理論とは別の次元で、国家としての承認が行われることは稀ではありません。ISと同様に、2014年に「独立」を宣言したクリミアの場合、ロシアが国家として承認したうえで、「その希望に沿って」編入したことにより、既成事実化されました。