【GQ読書案内】暮らしや文化、社会を写し出すキッチンを考える──台所にまつわる3冊
調理道具から料理の喜びを再発見する
稲田俊輔『現代調理道具論 おいしさ・美しさ・楽しさを最大化する』(講談社) 初めてフードプロセッサーで玉ねぎをみじん切りにしたとき、あの目の痛みから解放されただけでなく、美しい仕上がり(しかも粗さが選べる)にとても感動した。単身者用の部屋で暮らしていた頃は、置く場所もなく使用頻度も低いので、自分には分不相応な道具だと思い込んでいた。それに、包丁で玉ねぎのみじん切りができないと、烙印を押されてしまう気さえしていた(今思えば、それは確実に良妻賢母や、どんな苦労も美徳とするような、悪しき固定観念の刷り込みだ)。包丁が上手なのはやっぱり格好いいけれど、便利なプロセッサーが料理を楽しくしてくれたことも事実だった。 『現代調理道具論』は、料理人、飲食店プロデューサー、そして文筆家としても活躍する稲田俊輔さんによる“調理道具の考現学”とでもいえる一冊だ。土鍋や蒸籠のような定番、仕上がりの薄すぎるスライサーや一滴も取りこぼさないシリコンべらなどの便利グッズ、そしてAIを搭載した自動調理鍋まで。実際に使用したレビューと、その道具に合った最適レシピを紹介する。 読み物として面白いので、それだけで充分おすすめしたいが、それだけではない。先ほども触れたように、料理人ではない私たち(そして女性)に対してさえ、調理は「苦労すべし」の呪縛はまだまだ強固なように思う。だからこそ、稲田さんのような料理人が「便利! 使ったらいい」と率直に発信していることは、ものすごいエンパワメントのように感じられた。手段に固執して、料理の本来の目的=おいしい、美しい、楽しいを見失うなかれ。
ディープなインドの台所見聞記
小林真樹『インドの台所』(作品社) 最後に紹介するのは、南アジア各地の食器・調理器具の輸入販売者で、インド料理マニアの小林真樹さんによる、ディープでマニアックなインドの台所見聞記だ。北は夏の季節も朝晩が冷え込むカシミールから、南は呼吸するだけで汗が噴き出るタミルの最南部まで。あるいは、巨大な冷蔵庫を6台も抱える大富豪のキッチンから、わずかな身の回り品しか持っていない路上生活者の調理場まで。実際に使われている台所、食器や調理器具を見ながら、料理の様子を尋ねていく。 北インドでカレーが盛られていたステンレスの楕円皿、南インドのミールス(南インドの定食)が載るのはバナナの葉、東インドでは甘いドイ(ヨーグルト)は素焼きの器に入っていて、ネパールの山村でダルバート(豆とご飯のネパール定食)を盛りつけるのは青銅の皿。インドの台所もきっと多様なのだろうと期待しながら読み進めるが、そんなふうに簡単には運ばなかった。 もちろん、ライフスタイルは個人や家族によって多種多様ではある。しかし台所や食器、道具自体はさほど変わらないということに、小林さんは気づいたという。東西南北のインド人宅を訪問して台所を見れば見るほど、その中の特異性を書き表そうとするほど、ある種の同一性を感じるようになったというのだ。 それは、どんな家庭であっても、火をおこし、鍋の中に油とホールスパイスを落とし、具材とマサーラーを投入してサブジーを煮炊きするという調理工程が変わらないから。それほどまでに堅牢な食文化が、インドにはある、というわけだ。がっかりするどころか、逆に新鮮な発見だと感じる。やはり「食べるものが、ひとと文化を形成しているのだ」と妙に納得してしまった。紀行文として楽しむ以上に、調理の根源まで考えさせられた一冊だった。