「本当にピュアで可愛い人でした」夫人が明かす横綱・曙太郎の素顔「娘の裸を見ちゃって…大変だ!」ボブ・サップ戦は「やめてとは言えなかった」
本当にピュアで可愛い人でした
そもそもの出会いは、私が高校生で彼がまだ新弟子の頃です。私の父はアメリカ人で、母は日本人。父の友人が大将のトレーナーを請け負っていたので入門当時から知ってたんです。 私がアメリカの大学に留学し、帰国してからいい友達のような関係になりました。毎日のように電話が掛かってきて3時間も4時間もたわいない話をする。「普段は日本語ばかりだから、英語の勉強になるよ」なんてね。私の家に遊びに来ると「アメリカのシリアルがある!」「ホットドッグがアメリカの味がする!」って小さなことで喜ぶ。本当にピュアで可愛い人でした。
甘い結婚生活ではなかった
'98年10月に結婚したときは横綱になって6年目、力士としては晩年に差しかかっていました。「相撲界の面倒なところは僕に任せて。クリスは後ろで家を守ってくれているだけでいい」と言われたのですが、甘い新婚生活ではありませんでした。 結婚式直後の場所から腰のヘルニアで3場所連続休場。取り巻いていた人たちは潮が引くようにいなくなり、彼自身も体が思うように動かず大きなフラストレーションがたまっていたんでしょうね。私が必死に寄り添おうとしても無視されたり怒鳴られたりで、ひとり台所で泣いたこともありました。休場が続いて引退報道が過熱していき、実は一度、引退届を出しに行ったんです。ところが、当時の時津風理事長(元大関・豊山)に「結婚してから一度も優勝してないね。家族のために頑張りなさい」と引き留めていただいた。「理事長がチャンスをくれた!」と本当に喜んでいました。 長男が生まれたばかりの'00年7月の名古屋場所では3年2カ月ぶりに優勝。「賜杯を抱いて家族で写真を撮る」という彼の夢が叶いました。これは大将が一番大事にしていた相撲時代の想い出だと思います。 子どもがいるから地方場所や巡業で家を離れるのは辛かったようです。帰ってくるたびに長女が大きくなっていて、「僕は大事なところを見ていない」と。抱っこしても泣かれてばかり。娘にとっては、テレビの中にいるのがパパ。この男の人は誰? という思いだったのでしょう。それが休場中にはずっと一緒にいられたので、すっかり仲のいい友達になっていましたよ(笑)。
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