福祉行政を「排除ベンチ」へと進化させた桐生市の大罪
稲葉剛・立教大学大学院社会デザイン研究科客員教授は毎日新聞政治プレミアに寄稿した。群馬県桐生市で発覚した法を逸脱した異常な生活保護行政について、「桐生市は、生活に困窮した人々の生存権を保障し、自立を支援する生活保護法の趣旨を大きくゆがめ、住民を制度から排除することを最優先とするシステムへと変質させた」と指摘した。 【写真】東京都内の公園にある「排除ベンチ」 ◇ ◇ ◇ ◇ 「生活保護の利用者に生活費として保護費を1日1000円しか支給せず、国が定める基準(月額約7万円)の半分程度しか渡していなかった」 「数十年にわたって生活保護世帯から預かった印鑑を計1948本保管し、本人の同意なく職員が書類に押印していた」 昨年秋以降、群馬県桐生市の生活保護行政で、法律を逸脱した異常な運用が行われ、住民に対する人権侵害も頻繁に起きていたことが明るみに出た。 ◇「あまりにも不適切」 4月9日、参院厚生労働委員会で桐生市の生活保護問題について質問された武見敬三厚生労働相は、「私も聞いてびっくりした。あまりにも不適切だ」と述べ、保護費を分割した上に満額を支給しない手法について「生活保護法が規定する生活扶助の実施方法に適合しない」と、違法との認識を示した。 生活保護の申請をさせない「水際作戦」については、桐生市が設置した第三者委員会や群馬県の特別監査で調査中としながらも、「申請させない対応は全く適切ではない」とした。 生活保護の問題に取り組む全国の研究者、法律家、支援団体関係者は今年2月、「桐生市生活保護違法事件全国調査団」を結成。地元の支援者らからの聞き取りを進めるとともに、情報開示請求により入手した桐生市の公文書を分析した。 その結果を「要望書」にまとめ、4月5日、桐生市及び市が設置した第三者委員会と群馬県に申し入れを行った。 ◇信じがたい事実 調査団の活動やこの間の新聞報道、市による内部調査などで判明したのは、以下のような事実だ。 ・桐生市では、2011年度からの10年間で生活保護利用者数が半減。生活保護費は半分以下の45%まで減少していた。特に生活保護を利用している「母子世帯」の減少が著しく、11年に26世帯いた「母子世帯」は22年には市内でわずか2世帯まで急減していた。 ・生活保護を利用していたにもかかわらず、本人が「辞退届」を提出する形で生活保護が廃止になっていた世帯の割合が他自治体に比べて非常に高い。「辞退届」に押印されていた印鑑が、職員によって押されていた可能性もゼロではない。群馬県は毎年実施している定期監査において、18年から22年までの5年間連続で「辞退届」によって保護を廃止する運用が不適切だと指摘し、市に是正を求めていたが、改善はされていなかった。 ・桐生市は国の補助金を活用し、12年7月から福祉課における警察官OBの配置を進め、13年度以降は常時、複数の警察官OBを配置。最も多い時には4人の警察官OBが福祉課で働いていた。警察官OBの活用は不正受給対策として厚生労働省が推進してきた施策だが、桐生市では「生活保護の新規面接相談のほとんどに警察官OBが同席し、家庭訪問にも同行」、「生活保護の手前の段階で住民の困りごとを受け付ける相談窓口にも、警察官OBを配置」、「通常、ハローワークの経験者らが配置される就労支援相談も、警察官OBが担当」、など、明らかに施策の趣旨を外れた運用が行われていた。 ・18年度、桐生市は厚生労働省が各自治体に生活保護世帯の家計改善のための事業を実施するように促す通知を出したことをきっかけに、民間の金銭管理団体を活用した独自の事業を開始した。しかし、不思議なことに市は各民間団体とは委託契約を結んでおらず、表面上は市が紹介した民間団体と生活保護世帯が任意で契約を結ぶ形式をとっている。保護費の支給開始と同時に市から団体と契約を結ぶことを勧められ、民間団体に財産管理を委ねることが制度利用の条件だと受け止めた利用者もいた。22年度には生活保護世帯の13.9%が民間団体の金銭管理を受けていた。 他にも、生活保護利用者が医療機関に通院する際に支給される交通費が、500人以上の利用者全員分を合わせても年間計2400円(22年度)しか支給されていないなど、にわかには信じがたい事実が判明したが、紙幅の都合で全てを書くことはできない。ぜひ「要望書」の全文をご一読いただきたい。 ◇申請をあきらめさせる データやさまざまな証言から見えてきたのは、役所の窓口に来た住民を制度から遠ざけることに注力し、制度につながった住民に対しても、職員が暴言、どう喝、ハラスメント、日常生活への過度な介入、「辞退届」の強要など、ありとあらゆる手法を使って、短期間で制度から締め出そうとする福祉行政の姿だ。 しかも、近年は「警察官OBの配置」や「民間金銭管理団体の活用」など、排除のための手口を「進化」させ、その精度を上げてきているようにみえる。 住民から見れば、自分が生活に困って役所の窓口に相談に行った時、最初の面接相談から警察官OBが同席していれば、自分は歓迎されていないと感じるだろうし、生活保護の利用につながっても、本来、求職活動や福祉についての専門性を持たない警察官OBから早く仕事を探すように言われ続ければ、精神的な苦痛を感じ、市内での生活再建を断念して他地域に移るしかないと考えるようになるだろう。 また、生活保護を利用することが、名前も知らない民間団体に銀行の通帳や印鑑を預けることとセットになる可能性があるという話が知れわたれば、申請をあきらめさせる効果は絶大だ。 ◇「排除ベンチ」 相談者を追い返し、制度利用者を締め出す手法を「進化」させてきた桐生市の異様な行政運用で、私が思い起こすのは、東京など大都市部の公園やターミナル駅周辺で見かける「排除ベンチ」だ。 路上生活者らが体を横たえることができないよう、デザインに工夫をこらしたベンチのことだ。 東京の都心部では、路上生活者が急増した1990年代半ばから「排除ベンチ」が増えていったが、当初は木製ベンチの座面の中央に「横たわり防止板」と言われる板を後付けで設置する手法が一般的だった。 しかし、その後、排除の手法は洗練され、「最初から座面に突起やアームを付ける」、「座面を狭小にしたり、湾曲させたりする」、「座面自体をなくして金属の棒だけで構成する」など、さまざまな形状の「排除ベンチ」が各地に設置されていった。 排除を優先するあまり、ベンチが持つ本来の機能を否定する方向へと「進化」してしまったのだ。その結果、誰にとっても使い勝手が悪く、体を休めることができないベンチが街にあふれるようになった。 桐生市は、生活に困窮した人々の生存権を保障し、自立を支援する生活保護法の趣旨を大きくゆがめ、住民を制度から排除することを最優先とするシステムへと変質させた。 排除の精度を上げるため、より効果的な手法を取り入れて「進化」させていったプロセスは、福祉行政の「排除ベンチ化」とでも言える現象だ。 そこでは、「警察官OB」や「民間金銭管理団体」が「排除ベンチ」における「横たわり防止板」や「突起」の役割を果たしている。 ◇厚生労働省の責任 法律に違反し、制度をゆがめた責任は第一義的に桐生市にあるが、「警察官OB」の福祉事務所による配置を進め、自治体に生活保護世帯の家計改善を「支援」することを求めながらも、その「支援」の中身を精査してこなかった厚生労働省にも責任がある。 厚労省としては、自ら進めてきた施策が排除のためのツールとして利用されるとは想定していなかったのかもしれないが、実態が明らかになった以上、これらの施策の総点検と見直しを行うとともに、自らの責任についても検証すべきだ。(政治プレミア)