「どんなに泣いても病気は治らない」フットゴルファー柴田晋太朗、病魔と戦う前向きな姿勢生んだ“夢”の存在
骨肉腫。高校2年生の夏に診断を受けた17歳の少年にとっては、受け入れ難い現実だった。夢と希望。プロサッカー選手を目指し、懸命にボールを蹴ってきた。しかし、その目標を叶えるには、あまりにもその診断は残酷過ぎる。だが、自身は冷静だった。どうやって、病魔と戦うか――。生と死の間に立たされたとしても、前向きな姿勢は崩さない。大好きなサッカーは第一線でプレーできなくなったが、幸いにも新たに打ち込めるものも見つかった。2019年からフットゴルファーとしてのキャリアをスタートさせ、フットゴルフジャパンツアーに参戦。国内大会で優勝を収め、今年5月には同競技の日本A代表選出されると、アメリカ・フロリダ州で行われたフットゴルフのワールドカップに出場した。団体戦のメンバーとして日の丸を背負い、ベスト8まで勝ち上がった。転移などを乗り越え、新たな夢とともに生きる柴田晋太朗が明かす“夢”の存在とは――。 (インタビュー・構成・撮影=松尾祐希、写真提供=柴田晋太朗)
選手としてピッチに戻ることは諦めない。覚悟を持って病魔と戦う
高校2年生の冬。2016年の9月に右上腕悪性骨肉腫と診断された晋太朗は闘病生活をスタートさせた。がん研有明病院に入院し、同年12月14日に手術を実施。右肩の悪性腫瘍を取り除き、筋肉と骨も切除。肩には人工関節を入れた。 その一方でキャリアを継続するために主治医に伝えたこともある。本来は筋肉をほとんど取り除く必要があったが、現役続行のために最小限の切除に留めた。1月から始まった抗がん剤治療も復帰のために投与期間の短縮を願い出た。 「抗がん剤治療の1クールは1週間くらいなんです。抗がん剤を入れるのはそのうちの2、3日。3時間ぐらい点滴で入れて、終わればまた点滴で水分を入れて流すのが基本です。でも、抗がん剤を入れた後は4週間ほど療養する必要がある。でも、僕は高校サッカーの引退まで時間がないので、(治療期間を)3週間にしてくれと言って、それを繰り返しやっていたんです」 選手としてピッチに戻ることは諦めない――。強い覚悟を持って治療にあたったが、自分一人の意思だけでやり遂げられるほど簡単なものではない。多くの人の支えがあったからこそ、苦しい治療を続けることができた。 入院中には家族だけではなく、佐藤輝勝監督やサッカー部の仲間が病室を訪問。抗がん剤治療の影響で短髪になった柴田の髪型に同級生が合わせるなど、多くのサポートを受けた。また、小学校時代に所属していた横浜F・マリノスプライマリーで指導を受けた西谷冬樹氏(現・浙江緑城足球倶楽部U-18監督)の伝手で、中村俊輔氏(現・横浜FCコーチ)と齋藤学(現・ベガルタ仙台)が見舞いに訪れ、激励の言葉をかけてくれた。 前向きに病気と戦った晋太朗は18歳の誕生日を迎えた4月30日に退院。転移もなく、闘病中に失われた筋肉や体力を取り戻すためにリハビリを開始し、少しずつ復帰に向けて歩き出した。晋太朗の奮闘にチームも応え、夏のインターハイ予選で順当に勝ち上がる。晋太朗自身も佐藤監督の計らいで決勝トーナメント初戦からサポートメンバーとしてチームに帯同。座間高校との準決勝に勝利して全国大会出場が決まると、晋太朗は仲間に担がれて一緒に喜びを分かち合った。その後の本大会でもチームは快進撃を続け、見事に準優勝。自身も予選に続いて帯同し、仲間の活躍に勇気をもらって復帰に向けてさらにモチベーションが高まった。