39歳で下部ツアー初V 北村弁護士Jr.は“遅咲き”じゃない 甲子園出場の元高校球児・北村晃一
男子ゴルフ下部のABEMAツアー、太平洋クラブ・チャレンジ(5月29~31日、埼玉県太平洋クラブ江南)で、最終日に2位から出た北村晃一(39)=ダック技建=が、通算14アンダーで逆転し、下部ツアー初優勝を果たした。父はテレビ『行列のできる法律相談所』でブレークした北村晴男弁護士(68)。かつては野球少年で、弁護士を目指したこともある“2世”が歩んできたゴルフ人生とは。 39歳での下部ツアー初優勝。研修生上がりが当たり前の一昔前ならどうということはないが、若手の台頭が著しい昨今のツアーでは少し珍しいかもしれない。ただ、北村は大会後に語った。 「少し時間がかかった。ただ、年齢の話でもそうだし、いつになっても遅いというのはない」 この勝利はネットニュースでも大きく取り上げられた。見出しで、北村晃一という主語を修飾していたのは『北村晴男弁護士の息子』。父はテレビでも活躍し、お茶の間でも知られた存在。“2世”として以前も注目を集めたことがある。 プロゴルファーとしては珍しい経歴の持ち主だ。松井裕樹(パドレス)らを輩出した桐光学園出身の高校球児で、甲子園にも2度出場した。卒業後は1年の浪人を経て、法曹界の名門である中大法学部に進学し、1年までは父と同じ弁護士の道を目指していた。 中学時代に、家族旅行先で父にコースへ連れ出されたのがゴルフとの出会い。ただ、以降はゴルフをほとんどやらなかった。転機は大学3年の時にラウンドしたこと。2オーバーで回り「ゴルフは簡単だなと思って、テレビを見たらプロは68、69で回っていて、僕は全然やっていないのに74で回れるからいけるのかな」と、今の職業を志したきっかけとなった。 4年時には本格的にプロを目指すようになる。家族には事後報告で「ゴルファーになるわ」と伝えた。思い切った決断だったが、父は怒ることはなかった。それどころか第一声は「そりゃあ、いいな」だった。 家族にも背中を押され、元々非凡なセンスを持っていた北村は大学を卒業後、たった2年でプロになった。「プロテストを通りたいとはあまり思っていなくて、孔明さんぐらいまでいければ日本のトップ。そこだけ見てやっていた」。本格的にゴルフを始める前からツアー通算8勝の小田孔明と出会っており、トッププロを身近に見てきたのも大きい。 初シードを獲得するのに10年、優勝には17年の時間を要した。それでも「別に遅いとは思ってないですよ。今の若い子たちとゴルフ歴でいえば多分同じ」と北村。一風変わったゴルフ人生は、今が脂の乗り始めた時期だ。 ◇北村晃一(きたむら・こういち)1985年1月2日、神奈川県出身。桐光学園高では野球部に所属し、甲子園に2度出場。ポジションは二塁手。中大4年時にプロゴルファーを目指し、本格的に練習を開始した。08年にQT1次をクリアし、09年にプロテスト合格。17年には賞金ランキング72位で初シードを獲得した。24年5月に下部のABEMAツアー、太平洋クラブ・チャレンジでツアー初優勝を果たした。170センチ、72キロ。