デビュー45周年・サザンオールスターズ特別番組 桑田佳祐、思い出のサザンナンバーに「気分しだいで責めないで」を選んだ理由は?
TOKYO FMをはじめJFN全国38局が毎年“文化の日”に送る全国ネット特別番組『FM FESTIVAL』。2023年度は、11月3日(金・祝)に『FM FESTIVAL 2023 サザンオールスターズ デビュー45周年!「サザンとわたし」スペシャル』が放送されました。 デビュー45周年を迎えたサザンオールスターズをお祝いし、全国のリスナーから「サザンオールスターズと自分の人生が大きく交差した忘れられない思い出エピソード」とリクエストを、「サザンとわたし」というテーマで募集。サザンの名曲の数々とともに紹介しました。 番組では、進行の住吉美紀が桑田佳祐さんにロングインタビューを実施。ここではサザンオールスターズ45周年を迎えての心境や、デビュー当時のこと、桑田さん自身の思い出深いサザンナンバーを語ってくれました。
◆デビューしてから予定不調和の連続だった
桑田さんは、45年の活動を経てメンバーそれぞれの役割がやっと出てきたと話します。デビュー当時、メンバーたちはどのような思いで活躍していたのでしょう? 住吉:原さんは茅ヶ崎ライブでも「サザンの総合プロデューサー」とご自身でおっしゃっていましたし、メンバーの皆さんを見守る役も引き受けていらっしゃるんだろうなと感じました。 桑田:それぞれの役割がやっと出てきたのかなあというか。デビューしたての頃は、お互いがどういう距離感でどういう役割なのかわからないときがありましたからね。 住吉:でも、最初にピンとくるものがあったから結成されたのでは? 桑田:いやあ。我々の頃は意味があって集まったわけではないからねえ。45年前、運よくデビューすることになったんですよ。だけど、デビューしてどこにいくのって感じですよね。デビューが決まったから事務所を決めたほうがいいという話になり、「事務所って何?」という話になって。そういうことをやっているうちに紆余曲折あってここまできました。 住吉:45年前の結成当時、よく思い出すことは何かありますか? 桑田:やることがないから、とにかくバンドという形態を求めていたんですよ。茅ヶ崎で生まれて青山学院大学に行ったんですけど、周りの雰囲気が思っていたものと違っていたんですね。なかなか友達が作れないなと思って、武器を手にするためにギターを弾いたんです。 手っ取り早くギターでも弾ければ友達や女ができんじゃねぇのって思いがあったんですよ。すぐにはできなかったけどね(笑)。安易に考えていたことがどんどん崩壊していくんです。結局、人生ってそれの連続で。 住吉:だからこそ、何か次にやってみようという思いが生まれるんですね。 桑田:運もよかったんですよね。デビューしたとき、今はもう引退されましたけども、ビクターのディレクター・高垣健さんからサザンを見出してもらって、本当にお世話になったんです。その方から「サザンはローリング・ストーンズみたいなバンドになりたいよな?」とか言われたんだけど、当時は「ローリング・ストーンズじゃねぇよ」って生意気に思ってね(笑)。 住吉:(笑)。 桑田:僕はローリング・ストーンズじゃなくてビートルズになりたいと思っていたんです。自分が思っていることと周りのスタッフがやりたいことがいつもズレていたんですけど、かえってそれがよかったのかもしれないですね。