記録の神様と呼ばれた男、千葉功「記録に生きる」その3/ベースボールマガジン
かつてのベースボールマガジンに『話のグラウンド』という企画があった。脇役の方々が登場する地味ながら興味深いものだ。今回は1965年4月号からパ・リーグ公式記録員、千葉功さんの回を紹介しよう。週刊ベースボールの『記録の手帳』の筆者で、山内以九士氏、宇佐美徹也氏とともに記録の神様と言われた方である。WEBで紹介するにはやや長い気がしたので、1時間置き3回に分け、紹介します。これはその最後。記録にかける思いには、昭和の野球人の使命感もあった。
あきましたよとは言っていられない
私どもが発行しているパ・リーグ年報は220頁を記録で埋め尽くし、かなり詳細を極めていると自負するものの、アメリカの権威ある記録集スポーティング・ニューズ社発行の「ワン・フォア・ザ・ブック」にはとうてい太刀打ちできない。 たとえば私どもは2頁半を費やしている個人打撃の安打の項にしても、6頁半以上に及んでいる。すなわち、 “新人選手による連続安打記録” “シーズン開幕からの連続試合安打記録” “代打者による連続安打記録” “投手による最多安打記録” などどこまでも詳しく調べ上げられているのは驚くほかない。それに巻末には、球団別最高記録集というのもある。 ヤンキースを例にとると、入団1年目の最多本塁打記録は、1936年のジョー・ディマジオによる29本、またヤ軍選手の1カ月の最多本塁打記録はベーブ・ルースが1927年9月に打った17本という具合だ(※1964年時点)。 もちろん、私たちでもこうした質問が出た場合、時間をかけて調べれば答えられる。しかしそれが最初から活字になっていれば、これほど便利なことはないわけだ。 戦後のプロ野球がアメリカ野球に学べをモットーにして今日に至ったとすれば、記録の整理面でも大リーグに近づくための努力がなされなくてはならない。それは私たち当事者に課せられた義務でもある。 こんな目標がある以上はとうてい、「数字を見るのはあきましたよ」などとは言っていられない。
週刊ベースボール