NHKを退職したら「野生」になれた 「今日は稼ぎ0円じゃん!!」と焦っても毎日が刺激的! 武内陶子
■退職後に見つけた「一つの核」 で、育休を取るんだけど、その間に夫が「陶子が休めるのは今しかない!」と米カリフォルニアにあるスタンフォード大学の客員研究員になることを決めてきて、乳飲み子抱えてアメリカへ。そこでもいろんなことがあったんだけど、それはまた今度ね(笑)。 帰国したらすぐ保活して、なんとか区立保育園に入園。おっぱいやりながら保育園に娘を預けて仕事復帰。すぐに生放送の帯番組のキャスターになり、午後の日本列島をつないで伝えていくニュース番組を担当していたところ、突然ニューヨークへ異動となった有働(由美子)の後をまかされて「スタジオパークからこんにちは」というインタビュー番組を担当することになり。 そうこうしているうちに45歳で双子出産。育休後に復帰して「連続クイズホールドオン!」や「うまいッ!」「100分de名著」などの番組からの、月~金の関東甲信越向けの生放送「ひるまえほっと」を担当。そこからラジオの生放送を5年間。毎日3時間半おしゃべりする生活に。 いやー、こうしてみると確かに猛烈だわ~。でも、これは33年をギューっと縮めて書いたからそう見えるので、日々の生活はひたすら、目の前の問題を解決しながらやっていくという地道な毎日でございました。 あら、退職してからの野生のトーコ活動について書こうと思ったらもうここで1600字も使っちゃったわ。いけない、いけない。今回は「今」のことを書きたかったのよ! というわけで、そうなんです、とうとう「野生のトーコ」にかえって野に放たれた私。さて、どこへ進もうかと途方に暮れている時に、東京・愛宕山にある青松寺さんから「陶子さん、いのちが輝くようなすてきなイベントをやりませんか? いろんな方にお寺に来ていただきたいという気持ちもあり、仏教にはこだわらず、ことばのプロとして生きてきた陶子さんの目線でぜひ」とお声掛けいただき、武内陶子プロデュースのトークライブをやらせていただくことになったのです。どんな時も拾う神、いや仏が現れるものです(感涙)。かくして、退職後の私にも一つの核ができました。 青松寺は室町時代からある由緒ある曹洞宗のお寺で、開基は江戸城を築城した武将、太田道灌。今は東京タワーに程近いツインタワーの間にたたずむ、緑があふれ、そこだけ違う風が吹き抜ける奇跡のようなすばらしいお寺。そのお寺のご住職、喜美候部(きみこうべ)さんとは、かつて、文化人類学者で夫の上田紀行が面白いお坊さんたちを集めて「ボーズ・ビー・アンビシャス」という試みをやっていた時からのご縁で20年来のお付き合い。