街にあふれる行商は、ネット通販より便利? 幕末から明治の買い物事情
日本文化に寄り添った素材=竹
ところで、大八車を引っ張る行商人が扱っている商品は何だろうか。よくよく眺めてみると、笊(ざる)に籠、箒など、木で作られた大小様々な品が確認できる。
彼が運んでいる商品が木製であることは間違いないが、それらには、もう一つ指摘できそうな共通点がある。それは、木の中でも、「竹」を主たる材料としたものがほとんどであることだ。笊や籠をはじめ、これら商品のほとんどは、竹細工である。 現代の日本では、竹細工の需要はそれほど多くない。しかし江戸から明治時代にかけて、家財道具の相当な割合は、竹で作られたものだった。これほど竹が多用されていた理由の一つは、大変軽量なことである。写真の行商人が、これほど多くの商品を持ち運びできているのも、竹製で軽いためだった。また、竹はただ軽いだけではなく、加工しやすい上に、強度が高い素材でもある。 おそらく、外国人旅行客の目には珍しく映ったのだろう。行商人だけではなく、竹細工を作る職人の手彩色写真も、数多く残されている。それも載せておこう。
背中を向けている竹細工職人は、地面に座り込んで作業を行っている。彼の手には、驚くことに何も道具が持たれていない。そう、竹細工は基本的に、文字通りの「手作り」だった。この工房の外に置かれているのは、職人が手で編み上げた竹細工の籠だが、どれも溜息が出るほどに美麗な仕上がりである。 湿気の多い日本という地に適応した竹細工が、各家庭の中で主役の座を追われ始めたのは、それほど昔の話ではない。第2次大戦後、それも昭和30年代以降のことだった。新しい素材であるプラスチックの実用化によって、竹細工は少しずつ姿を消していったのである。
売価は交渉次第
話を行商人に戻そう。家のすぐ前まで商品を運んでくれる行商人たちは、確かに便利ではあった。しかし、今の売り買いと大きく違うこともある。それは、商品の「定価」が存在しなかったことである。実際の売価は、売り手と買い手の交渉にかかっていた。 イギリスの旅行作家であるイザベラ・バードは、1878(明治11)年に初めて日本の地を踏んだ。彼女は、当時の鉢石宿(現在の栃木県日光市鉢石)における買い物の経験を、次のように記録している。 「50銭という言い値があまりに法外だと思って店を出ると、後から女将がちょこちょこと追いかけてきて、20銭でいいですと言ったことがいくつかの店であった」 ― 金坂清則訳、イザベラ・バード著『日本奥地紀行(1)』(平凡社)、187ページ 江戸時代以来、日本の小売店では、商品の価格は基本的に掛値(かけね)で提示され、その後、客との交渉の中で売値が決まっていくシステムが採用されていた。つまり、同じ商品であっても、買う人間によって値段が違ったのである。これは、普通の店舗であっても、行商であっても同じである。 今の日本では(一部地方の小売店を除いて)考えられない話だが、こういった商法は、海外ではまだまだ残っているところがある。特に、観光客が多い地域においては、少しでも多くの利益を得るため、値段を吹っかけてくることは少なくないようだ。 いくら家の前まで運んでくれるとはいえ、売値が交渉によって決まるのが普通であった時代は、あまり羨ましいと思われないかもしれない。何事においても、今よりずっとコミュニケーション能力が必要とされたのが、江戸、および明治という時代だった。それを「人間らしい」と取るか、「煩わしい」と取るかは、その人の感性次第である。 (大阪学院大学経済学部教授 森田健司)