両腕で歩くミャンマーの牧師と合気道開祖の「最後の内弟子」 Vol.27
まさに「地獄」の様相を呈している――2021年に発生した軍部によるクーデター以降、ミャンマーでは軍事政権の国軍(ミャンマー軍)と、軍事組織としてのKNLAを有するKNU(カレン民族同盟)やカチン州、シャン州、カヤ州などの武装勢力が組織した反政府(反軍事政権)の連合的武装組織PDFの戦闘が激化している。今年に入り、軍事政権はついに18歳以上の国民を徴兵するとまで発表した。 2024年現在、ミャンマーに向けられる視線は「反民主的な軍事政権VS民主化を求めるレジスタンス的武装勢力」の構図一色に塗りつぶされているが、はたしてクーデターが発生する前のミャンマー、そのディテールに目を向けていた者がどれほどいただろうか。 本連載は、今では顧みられることもなくなったいくつかの出来事と、ふたつの腕で身体を引きずるように歩くカレン族の牧師を支えた日本人武道家を紹介するささやかな記録である。
カルチャーセンター
晴れてグリーンカードを取得した本間の快進撃がはじまった。その年(1983年)に30人規模の道場を開設。その1年半後にはチェロキー通りに100人以上が稽古できる道場を新設した。そしてその3年後、本間は新たな挑戦を始める。 デンバー植物園の近くの閑静な住宅地に2階建ての大きな家を借り、「ジャパンハウス・カルチャーセンター」の看板を掲げた。そこで日本語、茶道、華道、書道、日本料理の教室を開いたのだ。それぞれのコースの講師は若い日本人留学生達だ。彼らはボランティアで活動してくれた。 アメリカ人に合気道を教えるには、当時アメリカでブームに成りつつあった日本の伝統文化を利用して幅広く門戸を開き、そこから、馴染の薄かった合気道に導くことが肝要と本間は考えたのだ。まずは人を集めて、日本文化の土壌の中から合気道を浮き上がらせようとしたのである。 カルチャーセンターで教えるクラスは毎日夕方5時から夜10時までであったが、昼間は小学校や中学校へ出かけて行って出張授業(カルチャーショー)を行った。生け花や習字のデモンストレーションを教室で行う際は、英語の解説をテープに吹き込んでおき、テープの解説に合わせてデモンストレーションをして見せた。 そのテープにはバック・グランド・ミュージックも入れて雰囲気を作る努力もした。そして最後は合気道デモンストレーションだ。本間が鮮やかに合気道の技を決めると、教室の生徒達は大歓声を上げた。カルチャーショーは大好評で、デンバーとデンバー周辺のほとんどの小中学校から声がかかった。多いときは1日に3、4校も回ることがあった。