菊花賞の前に立ちはだかったルールの壁 20年前に起こった地方馬の負けられない戦い
地方のホッカイドウ競馬に所属したまま、中央や海外のビッグレースに挑戦を続けたコスモバルク。ちょうど20年前の3歳秋、菊花賞に向けた戦いの日々を振り返る。 【写真】三カ国を股に掛けた馬 コスモバルクこれまでの軌跡 コスモバルクは2歳時のラジオたんぱ杯2歳Sで重賞初制覇。「地方のチャレンジャー」から、瞬く間に「クラシックの有力候補」へと浮上した。そして年明け初戦の弥生賞も制覇。皐月賞は2着、日本ダービーは8着に敗れたが、秋のラスト1冠・菊花賞での悲願成就が期待された。 そんな地方の雄の前に立ちはだかったのがルールの壁だった。仮に中央所属であれば、賞金的に菊花賞の出走は確実。しかしながら、地方馬だったのでセントライト記念で3着以内に入り、優先出走権を獲得する必要があったのだ。そして、その前哨戦に選ばれたのが地元・門別の北海優駿だった。2週後のトライアルを見据え、プラス18kgで挑んだ一戦。得意ではないダートだったため、単勝1.0倍とは思えない苦戦を強いられたが、何とか半馬身差で勝利した。 そして迎えたセントライト記念。マイナス12kgの馬体重が示す通り、出来を上げての参戦だった。序盤で少し力みを見せたため、2角で先頭へ。そこからはうまく息が入り、直線でもうひと伸び。ゴール前で外から追い上げてきたホオキパウェーブをクビ差退けて、2分10秒1の日本レコードで勝利。単勝1.3倍の1番人気に応えて重賞3勝目を挙げるとともに、菊花賞の出走権を獲得したのだった。 残念ながら菊花賞は4着だったが、これで地方馬として初のクラシック皆勤馬となると続くジャパンCで2着に健闘。5歳時にシンガポール航空国際Cを制し、遂にGI馬に上り詰めることとなった。