厳寒期だけの「紙すき」を続け…800年の伝統をつなぐ和紙の里 文字が美しく見える理由
「イーハトヴは一つの地名である」「ドリームランドとしての日本岩手県である」。詩人・宮沢賢治が愛し、独自の信仰や北方文化、民俗芸能が根強く残る岩手の日常を、朝日新聞の三浦英之記者が描きます。 【画像】字が美しく見える紙、作り続ける 800年の伝統を持つ「和紙の里」
室温1度、極寒の作業場
2月中旬、岩手県一関市の東山地区。 室温1度の作業場で「ピシャリ、ピシャリ」と水の揺れる音が響く。 東山和紙の職人鈴木英一さん(79)は数十分ごとに紙すきの手を止める。 「手がかじかんで動かなくなるのです。ずっと冷たい水の中に浸しているから」 作業場の隅へと向かい、練炭で温めたお湯に浸したタオルで手をくるむ。 「ほおっ」と息を漏らす鈴木さんを、タオルから立ち上る真っ白な蒸気が包み込む。
最盛期280軒で行われていた紙すきは…
かつて黄金時代を築いた平泉中尊寺。 その東方に位置し、京都の東山に似ていることから、この地域は古来、「東山」と呼ばれた。 約800年の伝統を持つ「和紙の里」。 昭和初期には約280軒で行われていた紙すきは、今は2軒に減ってしまった。 「和紙の需要が大幅に減ってしまったからね。昔は畳と障子がある家がほとんどだったが、いまでは洋風の家が増え、畳がフローリングに、障子がカーテンになった。時代が変わったんだ」
紙をすくのは厳寒期のみ
東山和紙は多くの手間暇をかけて作られる。 畑で栽培しているコウゾを春に刈り取り、大釜でゆでる。 外側の黒皮をはいで機械で叩いた後、ソーダ灰を入れて煮沸し、繊維がばらばらになるまでほぐす。 「すき舟」と呼ばれる水槽に原料を入れた後、自家栽培した「ネリ」と呼ばれるトロロアオイの根から出る粘液を入れ、竹の棒でかき混ぜる。 「すげた」を水面に左右に揺り動かしながら、1枚1枚、丁寧にすいていく。 雪深い山里で、鈴木さんが紙をすくのは12月から2月の厳寒期だけだ。 「水温が上がると、ネリの粘度が弱まり、どうしても紙が厚くなる。薄い、高品質の紙がすけなくなるのです」
年を経るごとに白くなっていく…
後継者は、いない。それでも「地域の伝統を消さぬよう、体力が続く限り続けていきたい」と言う。 「東山和紙はね、良いと思いますよ。なんと言っても『丈夫で長持ち』ですから」 光の中で吐き出す息を銀色に輝かせながら、うれしそうに話す。 「日の光に当たると、年を経るごとに白くなっていく。だから障子にはもちろん、巻物に使っても、字が美しく見えるのですよ」 (2022年2月取材) <三浦英之:2000年に朝日新聞に入社後、宮城・南三陸駐在や福島・南相馬支局員として東日本大震災の取材を続ける。書籍『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』で開高健ノンフィクション賞、『牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って』で小学館ノンフィクション大賞、『太陽の子 日本がアフリカに置き去りにした秘密』で山本美香記念国際ジャーナリスト賞と新潮ドキュメント賞を受賞。withnewsの連載「帰れない村(https://withnews.jp/articles/series/90/1)」 では2021 LINEジャーナリズム賞を受賞した>