22年ぶり母校を訪れた元日本代表、その取材を通して考えた「地域で子どもを育てる」という理念
師走、東京・町田市立つくし野中学校のグラウンドは活気づいていた。昨年で現役引退した太田宏介さん(37=FC町田ゼルビアアンバサダー)が母校を訪れ、中学生たちと一緒にサッカーボールを追った。 【写真】22年ぶり母校を訪れ、卒業アルバムを見て笑顔になる太田宏介さん 学校側から地域活動に熱心なFC町田ゼルビアの普及部に声をかけ、実現したものだった。小杉賢三普及部長らスタッフとともに太田さんが懐かしの母校に足を踏み入れた。 ■太田宏介さん「嬉しかった」 河田真一校長は「子どもたちにいい先輩像を見せたかったし、非日常的な刺激をもらうことで、日常に還元できるかなと思いました」。サッカー部顧問の岡本壮平教諭もまた「新しい刺激をもらうこと生徒の成長につながると考えました」。そう狙いを口にした。 部活動から引退していた3年生も交え、約40人が約2時間、楽しいひとときを過ごした。太田さんの明るい声かけが子どもたちの背中を押す。お手本となるように懸命にボールを追い、鮮やかなミドルシュートまで決めた。誰もが笑顔を輝かせた。 「楽しかったです。サッカー選手と同じメニューを一緒にやる機会はないと思うので、少しでも何かを感じてもらえたら」。太田さんはそう言って汗をぬぐった。そしてこう続けた。 「ゼルビアの一員として母校に帰ってくるなんで考えられなかった。幸せ者ですよ。卒業して以来、中学に来るのは初めてです。22年ぶりかな。中学時代に僕は家庭環境が激変した。住む家がなくなったし、だから持っていたものは何もない。卒業アルバムもないです。今日、卒業アルバムを見たのは随分と久しぶりでしたけど、授業が終わったらFC町田ジュニアユースに行って、サッカーに明け暮れて。変わらない校舎の雰囲気とか、当時の彼女と一緒に手をつないで帰ったこととか、ちゃんと中学していたんだな、って。なかなか中学時代を思い返す作業ってなかったので、うれしかったです」 苦難を乗り越え、サッカーで日本代表選手になるまで成功した。そんな偉大な先輩と触れ合えた中学生だけでなく、協力した側の太田さん自身が何よりこの機会を楽しみ、感謝の思いを強くしていた。 ■一般人は入るきっかけもない 「なかなか母校に帰るというのは、一般の人ではないと思います。(学校に)入るきっかけもないですし、本当にうれしいですよ」 何げなく口にした太田さんの言葉。その中にあった“入るきっかけもない”。これは誰もが抱いている学校への共通認識である。 学校とは、おいそれと部外者が入れるような場所ではなく、どこか敷居が高い。いみじくも明治時代から今に至る“登校”“下校”という言葉が、その成り立ちを表している。もちろん生徒の安全管理上、誰もが簡単に入れる場所であってはならないものだが。それとなく遮断された尊き学び舎-。そんな趣きである。 ただ閉ざされた場所にしておくのは実にもったいない。この日のつくし野中学校のように、社会に対してオープンな取り組みがどんどん増えればいいと考えている。というのも、公立中学校とは地域コミュニティのハブになれるものなのだから。 現在、公立中学校の部活動改革が課題となっている。生徒が部活に打ち込める環境保全と、教員の働き方改革を進める狙いから週末の部活動を地域運営に移行していくというものだ。スポーツ庁が懸命に旗を振っているが、一部地域を除けばあまり進んでいない。そこは受け皿や構造的な問題、部活動に対する認識や価値観の隔たりが大きい。 移行期間は2031年度までにと大幅に先送りされ、「地域移行」も「地域展開」と呼び名も変わる。全国的な足並みはそろわず、動きは鈍化している。そもそも教育委員会、学校にすべてを任せることに無理がある。そこは地域住民を巻き込むことで、解決の糸口は見えてくるのではと考えている。 「地域で子どもを育てる」がキーワードになる。東京都三鷹市が日本国内では先進的に実践している「コミュニティ・スクール」の根っこにある考え方だ。以前に話をうかがった貝ノ瀬滋教育長の言葉が浮き上がってくる。 「子どもをより良く育てるには学校だけでは限界があり、地域(社会)ぐるみで育てるものです」 2004年(平16)に法改正されたことでスタートしたコミュニティ・スクールとは「学校協議会を設置した学校」のこと。保護者代表、地域住民などによって学校運営が話し合われ、実行されている。参考にしているのはイギリス型。教育委員会がないイギリスは、学校長が作成する基本方針に従い、地域住民らによって運営がなされている。 ■ぬくもりのあるコミュニティ 日本全国の公立学校のうち、コミュニティ・スクールを導入しているのは52・3%(令和5年5月1日時点)。その全国のデータを見ると、地方では進んでいる一方で、多くの人が暮らしているが、地元住民との関わりが薄い都市部ほど進んでいない。どこか部活動の地域移行の課題と重なって見える。 北海道の炭坑の街に生まれ、長屋で育ったという貝ノ瀬教育長はこうも話した。「ミソ、しょうゆを貸し借りする共同体があった。ぬくもりのあるコミュニティを作り直せないものかと思った」。今はより地域との活動を進化させた「スクール・コミュニティ」を実証している。学校が地域のハブとなり、放課後の施設を機能転換する「学校3部制」。地域住民が社会教育、生涯学習、生涯スポーツなどに参加し、学校を多様な活動の場にするというものだ。開かれた学校は大きな価値を生む。 つくし野中学校に話を戻せば、河田校長は太田さんらとの交流後に「子どもたちの目の色が輝いていた。これが一番です。地域の小学生たちもまじえて2回目ができたら。人のつながりがないと始められないことですが、やりたいか、やりたくないかです」。子どもたちの側に立つ教育者としての熱い思いが伝わってきた。 例えプロスポーツチームという金看板がない場所であっても、地域と学校が手を組むことで子どもたちの環境はより良いものにできる。学校が「コモンズ(入会地=いりあいち)」となることで、そこには様々なリソースが持ち込まれるからだ。 寒風が強まる年の瀬は、望郷の思いにも駆られる。人と人との「ぬくもり」の大切さ、子どもたちの未来について考えさせられた。【佐藤隆志】