「ばあちゃんの芋の煮っころがしも料亭が真っ白に炊いた芋もどっちもおいしい」菊乃井3代目がこだわる料理の「ハレ」と「ケ」とは
ほんまに「おいしい」って何やろ? #4
おおげさに「うま~い」「おいしい~」を繰り返すテレビのグルメ番組に、京都の老舗料亭「菊乃井」の跡取りとして生まれ、「ほんまにおいしいものって何や?」ということを追及して70余年の村田吉弘がぴしゃり! とダメだし。 【画像】京都の名店「菊乃井」で提供される「ハレの料理」とは 近著の『ほんまに「おいしい」って何やろ?』より一部抜粋、再構成して、料理が提供する「心と体の栄養」についてお届けする。
「ハレ」の料理と、「ケ」の料理の違い
「ハレとケ」という考え方があります。「ハレ」は漢字で書けば「晴」で、晴れ着などというように「普段とは違う、特別に改まった」という意味。「ケ」は漢字で書けば「褻」で、「日常」とか「普段」のこと。そういう意味では、料亭の作っている料理は「ハレ」の料理ということになるでしょう。 一方、「ケ」の方は、「おふくろ味」「おばあちゃんの味」「おばんざい」「ふるさとの味」「滋味」とか言われる料理の分野ということになるでしょうか。 「ふるさとの味」や「滋味」はまさに「地味」で、飛び上がるほどおいしい、うまいというわけではないけれど、食べた時に何となくほっこりする。ものの味そのものが体のなかに沁みいる、そんなおいしさ。 「おふくろの味」というのは、「心の栄養」ですね。その味噌汁を飲んだ時のシチュエーション、生まれた家の古くさい畳の匂いとかも込みで、母親の味噌汁の味そのものを覚えているわけではない。 味の要素として、そうした「ほっこり」とか「心の栄養」という部分はとても大事なことやと思います。ただ、基本的に過去は美化されますから、「あの頃に食べたもの」はどんどん美しく頭のなかで膨らんで、とろけるようにうまかったということになる。そして、それらは「心」とか「頭」の話ですから、「体の栄養」とはあまり関係がない。 一方、私らは「体の栄養」も充分考えた「ハレ」の料理を作っていますが、年中「ハレ」ではちょっとしんどい。年中はあり得ない。この頃、金持ちの若い人らは年中「ハレ」の料理を食べていますけれども、「過ぎたるは及ばざるがごとし」で、病気になりますよ。 やっぱり、「ハレ」と「ケ」はある程度はっきりと分かれている方がいい。そのうえで、どっちがうまいかと言われると、どっちもうまい。 おばあちゃん炊いてくれた芋の煮っころがしもおいしいし、料理屋の真っ白けに炊いた芋もおいしい。どっちがおいしいねんとかいうものではなくて、それは別のものやろうという考え方でいい。 結局、食べ物にはそれぞれ、その時その時の「思い出」とか、「強烈な印象」とかがからまっていて、それを食べるとそこにトリップしますよね。海の近くへ行ったり、ハスの花が咲いている池のそばに行ったり、いろいろなところにトリップする。トリップすることができる。食べ物、料理というものはそういうものです。 私ら料亭、料理屋の料理というのは、そういうふうに、食べた人がいろいろなところにトリップできるような、そういう思い出につながるような料理を提供しようともしているわけです。料亭は「ハッピーハウス」であり「大人のアミューズメントパーク」であると私が常々言っているのも、そういう考えが基本にあるからです。 「菊乃井の料理」が提供する「心の栄養」と「体の栄養」を存分に楽しんでいただければ幸甚です。 文/村田吉弘
---------- 村田吉弘(むらた よしひろ) 1951年京都府生まれ。 立命館大学卒業後、名古屋の料亭で修業を積み、「菊乃井 露庵」、「赤坂菊乃井」、「無碍山房」を開業。 NHK「きょうの料理」等に多数出演。NPO法人「日本料理アカデミー」名誉理事長も務め、日本料理の国際化を牽引している。著書に『村田吉弘の「うまみ酢」でかんたん和おかず』等、監修本に『だしを極める。 日本料理の伝道師・村田吉弘が伝授』等多数。 ----------
村田吉弘