「24時間、酸素吸入が必要でした…」杉田かおる 仕事も休止して4年半続けた母の在宅介護が「つらくなかった訳」
家族というよりもチームのようで、お互いの得意分野で能力を発揮し、力を合わせて生活していました。「3人でひとり」の感覚です。私は「杉田かおる」として表に立っていましたが、その背後では、妹は裏方仕事を全部引き受けてくれていたんです。母は私がどんなに破天荒なことをしてもニコニコして受け止めてくれました。 だからといって、情に縛られているわけではなく、心がひとつであれば、あとは全部それぞれの自由に生きていこうという考え方をしていました。ずっと一緒にいたから、母の具合が悪くなったら面倒を見るのは自然の流れでした。
■「自分のため、人のために動く」だから在宅介護もつらくない ── 在宅介護は大変なイメージがありますが、いかがでしたか? 杉田さん:母は長い間、病気を患っていたのと、もともと明るい人だったから、一般的にイメージされるような「つらい介護」ではありませんでした。呼吸が苦しくないときは、お友達を呼んでワイン会を開催したり、ビールバーに一緒に行ったり、できるだけ楽しんでもらっていました。 肺が悪いから空気がきれいな郊外に住み、母が好きな花火がきれいに見えるマンションを住居に選ぶなど、母を中心に生活していました。
介護が始まったからといって急に大きな変化があったわけではなく、時間とともに、ゆっくりと介護の取り組み方が変わっていったように思います。母が過ごしやすい環境をいつも考えて部屋のレイアウトや食事を考えるようにしました。 振り返ってみると、旅番組やバラエティに出ていたとき、いろんな企画を考えていたのが介護にも役立ちました。たとえば、部屋のレイアウトを考えるときは、手すりは無機質なものではなく、少しでも可愛いものを探すなど、テレビの小道具さんになっている感覚でした。母に楽しんでもらうために何をしようか考えているときは「いまの私、構成作家みたいだな」と思っていました。
── これまでの仕事や経験がすべてつながっているんですね。 杉田さん:そうなんです。自宅介護や家事って、お給料がもらえるわけではないです。だから、周囲から評価されていないような気がして悲しくなる場合もあるかもしれません。 でも、「ここからここまでは仕事、ここからはプライベート」と明確に切り分けず、「私は24時間、世のため人のため、自分のために動いている、動けている」と思うと、すごく充実するんですよ。長い目で見るとすべての経験は絶対に自分の糧になっています。