CSで豹変した阪神・和田采配
第2戦では、3点のリードで迎えた8回二死一、二塁で西岡の一塁線を襲う強烈なライナーはファウルと判断された。すると和田監督は凄い勢いでベンチを飛び出し、一塁の塁審に詰め寄った。「ジャンプして捕りに行ったロペスのファーストミットに打球が触れたのではないか」という抗議。指揮官が、こういう感情をグラウンドに持ち込むのは珍しかった。 シーズン中に何人かの関係者に「なぜ和田監督は抗議にいかないのか、選手やコーチの顔が潰れる」という話を聞いたことがある。サヨナラゲーム後に、中畑監督が猛抗議した試合があったが「試合が終わっているのに抗議を続ける、あの中畑監督の熱意を見習えないものか」と吐き捨てた関係もいた。 理論派で、冷静沈着な和田監督のスタイルは、負けが込むと、ときには、そういう見方をされる。確かにプロ野球の抗議にはパフォーマンスの要素が大きいが、そこにはベンチを鼓舞するという役割もある。だが、和田監督はファイナルステージで闘志を剥き出しにした。和田監督は「ツヨシ(西岡)が帰ってきてチームのムードがガラっと変わった」と言ったが、チームのムードを変えたのは、その指揮官の積極タクトだった。 阪神DCで評論家の掛布雅之氏も勝因にベンチの積極采配をピックアップした。 「仕掛けが攻撃的だったね。それは守りの面にも出ていて、メッセンジャーにしても能見にしても、ためらうことなく早めの継投で動いた。オ・スンファンには、イニング跨ぎを指令して6連投もさせた。レギュラーシーズンでは、勝負どころで迷いの見えていた和田監督の采配が、冴えて攻めに転じていた。インタビューで『チャレンジャー精神』を強調していたが、ある意味ベンチも開き直りの心理状態でCSに入れたんじゃないか」 勝負を見極める戦術眼も光った。 第1戦では、七回に藤浪が阿部にソロアーチを浴び、なおも無死満塁のピンチを背負うが、ベンチは微動させずに任せた。結果、代打・セペダを併殺に仕留め、代打・井端をも151キロのストレートでねじ伏せた。だが、メッセンジャーが先発した第3戦では、同点に追いつき阿部から始まる6回の守りで左キラーの高宮に迷わずスイッチ。安藤、若手の松田とつなぎ、8回にその松田が、二死一、二塁のピンチを背負うと、オ・スンファンを前倒しでイニング跨ぎのマウンドへ送り込んだ。結果、セペダはレフトフライ。 ファイナルステージの優勝を決めた18日のゲームでも4点差があったが、先発の能見の球数が94球になったのを認めると、スパっと5回で継投策に出た。 シーズン中は何かあれば「大丈夫か?」と疑心を抱き、石橋を叩きすぎて継投判断に失敗するケースが多々あった。その優柔不断な態度にコーチングスタッフが右往左往することも少なくなかったが、CSに入ってからは投手交代についての決断力も冴えた。 “下克上”を果たしての9年ぶりの日本シリーズ進出を“奇跡”や“運”だと表現する声もある。だが、その奇跡への細い糸をたどっていくとそこには理由がある。