『カラオケ行こ!』“仲良くなるだけ”がなぜ心に響くのか 山下敦弘監督だからこその“間”
アキ・カウリスマキ監督作『枯れ葉』と『カラオケ行こ!』の共通点
そういえば、このような“出会い”をきっかけに物語が始まりつつも、そこに目に見えたドラマティックを求めずに一定のトーンで人間を描写していく穏やかさは、これまでの山下作品も然り、アキ・カウリスマキ作品との類似性を感じずにいられない。奇しくもそんなカウリスマキの現在公開中の新作である『枯れ葉』も、考えてみればカラオケバーで出会う男女の物語だし、映画のなかで登場人物たちが映画を観るというシチュエーションも今作と合致するわけだ。 そう、この中学生が部活の息抜きであったり、ヤクザとの関係を相談したりする「映画を観る会」の部室は、校舎の隅の方にある小さな一室。そこに鎮座したソファに座り、中学生は友人と2人で映画のVHSを観る。『白熱』、『カサブランカ』、『三十四丁目の奇跡』、『自転車泥棒』と、いうまでもない名作のラインナップであり、取り立ててそれらの作品の内容が映画に影響を及ぼすことはない。ただあくまでも、VHSデッキの故障によって巻き戻すことが許されないという不可逆的な映画体験を存分に味わう役割に徹するのである。 この不可逆性は、もはや青春時代そのものでもあり、中学生の声変わりによって失われるソプラノのボイスであり、ヤクザにとってはかなり大掛かりな処置を試みても完全に消すことのできない恐るべき刺青と連動していく。終盤でこのVHSデッキの故障とともに「映画を観る会」ではついに不可逆からの解放が可能になるわけだが、巻き戻しをしていなかったVHSをひたすら巻き戻して棚に収めることを行うだけで、決して“観直す”という選択が取られない。 不可逆なものは不可逆として受容し、一方通行で進んでいくどうすることもできない変化をただひたすら受容していく。それは中学生の部活の引退であり、卒業であり、また“立ち入ってはいけない”ヤバいエリアたるミナミ銀座という街並みの再開発も然り。人は放っておいても様々な変化のなかで生きていくことになる。止める必要も抗う必要も積極的にその流れに乗る必要もなく、ただその時できること、出せるだけの大きな声で「紅だーー!」と声を枯らせさえすれば人生は充分すぎるくらい豊かである。難しいことはいいから、とりあえずカラオケに行こう。 これは完全に余談ではあるが、生徒たちから“お花畑”だと揶揄される合唱部のももちゃん先生を演じている芳根京子。8年半前に初主演ドラマの『表参道高校合唱部!』(TBS系)ではぴょんぴょん飛び跳ねていた生徒だった彼女が、中学生の合唱部の副顧問を務めているというだけでも感慨深いものがあるのに、劇中の中盤で練習している楽曲が合唱の定番である坂本九の「心の瞳」。まさしく『表参道高校合唱部!』の第6話で歌っていた曲ではないか。これは胸が熱くなるサプライズであった。
久保田和馬