せんだいメディアテーク「3がつ11にちをわすれないためにセンター」(下)
「東日本大震災では、さまざまな場所で、複合的に災害が起きました。2011年5月時点では、せんだいメディアテークのある市街地では、街の機能はほぼ回復した状態でした。一見、震災がなかったかのようでしたが、車で30分ほど海の方に向かうと、津波による激しい被害を受けた沿岸部の風景が広がっていました。同じ市域の中で、物理的な距離を超えた被害や心の隔たりをすごく感じました」
「わすれン!」を担当してきた北野央さんが強調する「距離を超えた被害や心の隔たり」は、震災後、それぞれの日々を送る人々に共通する感覚といっていいでしょう。東日本大震災は、広範かつ多様な厳しい体験を多くの人々に強いるものでした。「震災」とひと口で言っても、その実態は人の命の数だけ、暮らしの数だけあったといっても過言ではありません。震災体験は時間の経過とともにさらに複雑になっているようです。 「たとえ、同じ津波が来た地区の中でも、家が少し離れていれば、押し寄せる波の高さや、そこに油が入っていたか、否かなど、被害の様相はそれぞれに異なっていました。その後、5年が経過する中でも、復旧・復興の状況が立場や場所ごとに異なっているように感じます」 東日本大震災の被害の規模と深刻さに加えて、多様な震災体験は、時間の経過とともにふぞろいな側面を拡大し、複雑さを増しているようです。「わすれン!」を拠点に活動する市民やNPOなどが震災記録の保存や利活用に取り組むうえでの最大の懸案といっていいでしょう。 「百年先に記録を残すこと、それ以前にいま、この地域の次の世代を担う子どもたちにどのように伝えていくかが大きな課題でしょう。震災当時、小学1年生だった子どもたちはこの4月(2016年度)に中学生になります。そして、来年度、小学校では、震災当時は未就学児だった子どもたちだけになります。この子たちは、震災を体験していても、震災を自らの体験として思い出すようなことは少ないかも知れません。そこで、義務教育の中で、初めて学ぶ震災のことはこれまで以上に重要になってくるのではないでしょうか。一方、小学校の先生たちも、震災後の異動に伴って、その小学校、その学区で、震災のときにどのような被害と混乱があったのかが分からない場合もあるとうかがっています。これらに対して、役に立てることはないか模索しています」 震災体験が抱え込む、ナイーブで、難しい問題を乗り越えるきっかけとするため「わすれン!」では、NPO法人「20世紀アーカイブ仙台」との協働企画「3月12日はじまりのごはん」という事業に取り組んできました。複雑・多様で個人差も大きい震災体験を同じテーブルに載せて共有するため、震災の翌日、3月12日にはじめて食べたごはんについて語り、考える場を設けています。昨年は、この取り組みに用いる展示用パネルを利用した震災学習を仙台市内の中学校の先生たちとともに検討を重ね、生徒を対象とする授業を行いました。 「震災の記録といえども、それらはわたしたちの暮らしの中で、一人ひとりが感じ記録したものです。それらを学校や地域など、個々の生活の場へ戻す機会や仕組みづくりを、さまざまな立場の人々と模索する必要性を感じています。押し入れに大事にしまっておくだけだと、時間がたって、価値観や人を取り巻く状況が変わり、捨てられたり、忘れられたりするかもしれません。『生きているアーカイブ』とでもいえば良いでしょうか。実際に震災の記録をさまざまな形で触ってみて、使いながら育てていく、それらの活動をさまざまな立場の人々と一緒におこないながら、後世にどのように伝えていけるのかを考えていければと思っています」 「わすれン!」の正式名称「3がつ11にちをわすれないためにセンター」は、東日本大震災を安易に記号化せず、個別・具体的な暮らしの場で起きた事象としてとらえる決意のようなものです。「震災から一カ月半後、スタッフ全員で名称を考えていたときに、『3.11』や『9.11』のように、ひとことで分かったかのような表現にすることには、なにかあらわしようのない違和感を感じました。漢字では少し硬い感じもするので、ひらがな書きにして一文字ずつ読めるようにしたのも、一人ひとりの震災体験の違いを丁寧に残すことを大切にしたいと考えたからです」(終わり) (メディアプロジェクト仙台:佐藤和文)