「大阪の先物精神で日本を元気に」 ── 岡本安明・大阪堂島商品取引所理事長が講演
岡本安明・大阪堂島商品取引所理事長がこのほど、大阪市北区の大阪第一ホテルで開かれたNPO法人SKC企業振興連盟協議会主催の早朝講演会で、「堂島米会所が世界初/大阪商人の知恵」と題して講演し、大阪で世界初の先物取引市場が誕生した史実に注目。「先物取引の伝統を生かして大阪が元気になることで、日本全体を元気にしていこう」と提唱した。
大阪・堂島は世界の先物取引発祥の地
岡本理事長は江戸期の名所を描いた錦絵や近代の古写真を引用しながら、大阪が先物取引の先進地だった歴史をひもとく。江戸初期の1630年から50年ごろ、大坂の豪商淀屋の庭先で、淀屋の米市と称される米市場が自然形成された。 1997年、隣接する堂島に市場を移転して、堂島米会所に発展。1730年には、従来からの現物取引の他に、先物取引が始まった。現在、先物取引の中心地である米国・シカゴより、100年以上早い。大阪・堂島が世界の先物取引発祥の地である史実は、金融関係者の間では世界的に認知されているという。 取引場面で米俵が描かれていない錦絵がある。先物取引の特色だ。 「江戸では蔵前に並ぶ米蔵の米が少なくなれば、米の価格が急騰した。しかし、大坂では蔵屋敷の米の貯蔵量だけにとらわれず、米を積んだ船の出入りや産地の天候などを予測し、総合的に情勢を判断して価格を決めていた。先見性に富んだ大阪人気質が、先物取引を生み出した」(岡本理事長)
米の価格は岡山まで16分で伝わった
錦絵は他にもいろいろ教えてくれる。取引の場面に提灯がともり、財布などの貴重品が落ちている。「朝も暗いうちから提灯をともして取引が始まり、仲買人たちは財布を落としても気がつかないほど、取引に集中していた。あまりにも商いに熱くなるので、水をまいて取引の終了を知らせたほどだった」(岡本理事長) 半面、商いには好不調がつきものだが、市場の健全性は確保されていたのか。「多くの仲買人がいたが、決済不履行に陥ったという記録は残っていない。米会所は、幕府ではなく町人たちが作った。市場を自分たちで守る商人道が貫かれていた」(岡本理事長) 変動する米の価格情報は、堂島から全国各地へ発信された。伝達方法は旗で、暗号化した相場価格が旗から旗へ伝えられていく。 ふたりひと組。ひとりが望遠鏡で旗の価格を読みあげ、相棒がすばやく価格通りに旗を振る旗振りリレー方式だった。早いばかりではなく、暗号を解析して正しい価格を伝えなければいけない。旗振り役は精度を問われる専門職だった。「堂島から岡山まで、16分間で伝わった。時速700キロのスピードだ。京都や和歌山は3分間。江戸へも、飛脚による箱根越えを含めて、8時間あれば伝わった。莫大な労力やコストをかけても、堂島の米価格をすばやく正確に伝える意義があったということだ」(岡本理事長) 大阪堂島商品取引所が2011年、コメ先物取引を72年ぶりに再開。証券取引でも先物取引は大阪に集約された。岡本理事長は先物取引の伝統を生かした大阪活性化ビジョンを提唱する。「大阪で価格を決めた美味しい日本米を、世界へどんどん輸出できる環境を醸成したい。大阪が元気になれば、日本全体が元気になる」 講演後、岡本理事長はTHE PAGE大阪のインタビューに応じ「先人たちは知恵と努力で世界初の偉業を成し遂げた。若い人たちは、大阪の歴史に誇りをもってチャレンジしてほしい」と、若手世代にエールを送った。 (文責・岡村雅之/関西ライター名鑑)