帰国した「たむらけんじ」が初めて明かす「焼肉たむら」の苦境 「社員の離脱」と「買収」について
■リニューアルして売り上げは2倍 「いまさら戻ってきて何をするんだ」とか「もう、お前の戻る席は芸能界にはない」とか「失敗してもう一回芸人か」とか、それこそいろいろなことを言われてもいますけど、もともと芸人に戻る気は一切ないですから。そんな中途半端な思いで、大好きな仕事を離れないです。 そして、これもハッキリさせておきたいんですけど、アメリカでタレントとか俳優としてやりたいわけでもない。 なぜ大好きな芸人の仕事をやめたのか。あこがれてお笑いの世界に飛び込んだ10代の自分と同じ感覚で、50歳からアメリカに行ったんです。芸人でもなく、飲食でもなく、まだ知らない分野で「僕にしかできないこと」を見つけたい。それだけが事実です。なので、今もアメリカの家を残しているし、カラ家賃も払っています。 先は見えないけど、秋からメニューをリニューアルして売り上げは2倍くらいにはなっています。でも、これは最初だからこそのご祝儀相場でもある。なんとか3倍まで持っていって、落ち着いても2倍くらいで安定する。それくらいじゃないと話にならないし、日々頑張るしかありません。本当に。 1年半ほどですけど、アメリカにいて変わった部分も感じています。以前は何をするにしても、人の目がすごく気になっていました。だから電車にも乗れなかったし、ご飯を食べていても常に周囲を気にしていました。でも、アメリカでは僕のことを誰も知らない。すごくおおらかになれました。 逆に言うと、日本にいた頃は常にピリピリしていたんだと思います。張りつめていたんやろうなと思います。今は一回深呼吸すればどっしり構えていられる。どこで何をしていても、電車で指をさされても、何も思わなくなった。大きなアメリカにいておおらかにしてもらいました。 正直な話、ま、全部正直な話ばっかりなんですけど(笑)、自分だけの個人店やったら、すぐにつぶしていると思います。でも、そうはいかない。人の人生を背負ったのは自分ですから、背負った以上は責任を持つしかない。言葉にしたら単純な話ですけど、これが難しい。でも、でも、やるしかないですからね。ただただそう思っています。 ■たむらけんじ 1973年5月4日生まれ。大阪府阪南市出身。大阪NSC11期生。同期には陣内智則、ケンドーコバヤシ、「中川家」らがいる。92年にお笑いコンビ「LaLaLa」を結成するも、99年に解散後はピンとして活動。2006年に自らがオーナーを務める「炭火焼肉たむら」を開業。芸人と社長、両方の顔を持つ実業家芸人としてブレーク。昨年5月、全てのレギュラー番組などを整理し、新たな夢を追い求め渡米した。
中西正男