名探偵コナンの劇場版最新作の舞台となった「五稜郭」 名前の由来と星形になった理由とは?
毎年注目を集める「名探偵コナン」シリーズの劇場版最新作『劇場版名探偵コナン 100万ドルの五稜星(みちしるべ)』が公開される。キーワードになるのは、舞台のひとつとなる五稜郭と、そこで戦い抜いた新選組副長・土方歳三だ。まずは五稜郭について、その歴史を簡単に振り返ろう。 ■ヨーロッパの建築方式を取り入れた最先端の城郭誕生 五稜郭築造の始まりは、嘉永6年(1853)の「黒船来航」である。200年以上続いた徳川幕府による鎖国政策は、アメリカ側の開国要求に屈して安政元年(1854)に結ばれた「日米和親条約」によって終焉を迎えた。この条約で日本は、伊豆・下田と蝦夷地・箱館(当時は「函館」ではなくこの表記だった)を開港する。 いざ開港となった時、幕府が現地での外交や国防体制の確立のために設けたのが、「箱館奉行所」だった。当初は箱館山の麓に設置されていたが、立地的条件や防衛体制等を鑑みて、役所や役宅を内陸の平坦な地へ移転させることになった。そして防衛の観点から、移転先では役所の周囲を土塁で囲み、川から水を引いてさらに水堀で囲むという壮大な計画が練られたのである。 土塁の設計を命じられたのが、製鉄や造船、大砲、築城などに精通しており、箱館開港後は箱館諸術調所の教授として活躍していた武田斐三郎(たけだあやさぶろう)だ。彼は箱館港にいたフランスの軍人らからの情報をもとに、ヨーロッパで発達していた城郭都市を構想に取り入れることにした。 安政4年(1857)から始まった工事は、約7年の歳月をかけて進められた。そして、元治元年(1864)に「箱館御役所」、通称「箱館奉行所」として蝦夷地の政治の中心地として運営されるに至る。 ちなみに、「五稜郭」というのは正式名称ではなく、ヨーロッパ式城郭の特徴的な構造である稜堡(りょうほ/城壁や要塞から突き出した角の部分)が5つあることに由来する通称だ。正式名称は「亀田役所土塁」という。 所謂「星形要塞」の起源を辿ると、15世紀のイタリアに行きつく。火砲の発達によって従来の垂直かつ高い城壁では太刀打ちできなくなり、死角を減らして各方位のカバーがしやすいように稜堡を複数設けた建築方式が注目されるようになったのだ。かの有名なミケランジェロも、フィレンツェの城壁改良工事の際にこの理論を取り入れている。 イタリアで誕生し、ルネサンス期に発展したこの築城方式によって造られた五稜郭は、やがて箱館戦争の激戦地となる。そして戦争が終結し明治の世になるとその役割を終え、明治4年(1871)に郭内の御役所庁舎は解体された。その後、大正3年(1914)から公園として一般開放され、今なお多くの人々に愛される有数の観光地となっている。 <参考> ●五稜郭タワー公式HP ●五稜郭タワー公開資料「五稜郭前史」「箱館奉行の北法経営と五稜郭」「幕末の激動とその後の五稜郭」 ●箱館奉行所公式HP
歴史人編集部