高齢者は何歳から? 「年齢による差別」の撤廃
八代尚宏・昭和女子大特命教授は毎日新聞政治プレミアに寄稿した。「米国など多くの先進国では、同じ仕事能力を維持している高齢者を解雇することは年齢差別として禁止されている」と語った。 【写真】「全員70歳以上」のサッカーチーム ◇ ◇ ◇ ◇ 5月23日の経済財政諮問会議で、全世代を対象としたリスキリング(学び直し)の強化に向けた柱のひとつとして、「高齢者の健康寿命が延びる中で高齢者の定義を5歳延ばすことの検討」が提言された。 世界保健機関(WHO)は、国際標準の高齢者を65歳以上と定義している。他方で、日本では60歳時点の健康余命(健康上の問題で制限されずに生活できる期間)が、男女平均で20.4年(2019年)と、米国の16.4年と比べても世界のトップ水準にある。 このため日本老年学会などでは、すでに17年に、75歳以上をより手厚い医療や介護の施策を行うべき高齢者と定義することを提言していた。また65歳から74歳までは、ある程度の疾患を抱えていても自立は可能であり、その自立度を維持する方向に対策すべきだとしていたが、これまで具体的な政策に結びつけられることはなかった。 諮問会議の提言に対しては否定的な意見も多い。65歳からの公的年金支払いという国民との契約を一方的に破棄するもので、「老後の安定した生活」を奪うなどの批判がある。これに対しては、高齢者の定義を変えなければ、どのような問題が起きるかを検討する必要がある。 ◇個人にとっては望ましいことが… 日本の15~64歳人口に対する65歳以上人口の比率は、24年の50%が50年には70%にまで高まり、勤労世代の負担が急増することが、最新の将来人口推計で見込まれている。 最大の要因は、65歳時の平均余命が、1985年時から男女平均で5年も延びたことだ。本来、自分や家族の寿命が延びることはよいことだ。日本の社会が、長期間にわたって所得水準は安定し、病気になれば必ず治療が受けられ、犯罪も少ないなど、先進国でも住みやすい環境にあることを反映している。 それでは、なぜ個人にとって望ましいはずの長寿化が、高齢化社会という弊害をもたらすのだろうか。年齢に過度に縛られた、日本の社会システムが、高齢化の進行の下で、機能不全を引き起こしているからだ。解決のためには「年齢を問わない社会」への改革が基本となる。 ◇「年齢による差別」の撤廃 85年の男女雇用機会均等法制定以来、働くうえで、性別による差別は禁止されるべきだという考え方は社会的に確立された。しかし、60歳や65歳など、特定の年齢に達したことだけを理由に解雇される定年制は堅持されている。 政府は定年退職者の65歳までの再雇用を義務付けているが、多くの場合、賃金は大幅に下落し、責任あるポストには就けない非正規社員の扱いで、その能力を十分に活用できていない。管理職などのポストを後任に明け渡す必要からといわれるが、もともと、個人の年齢ではなく仕事能力に応じた人事制度であれば、そうした必要はないはずだ。 日本企業の年功賃金などの仕組みは、少ない高齢社員を、多くの若年社員が支えることを暗黙の前提としてきた。しかし、社員の平均年齢が高まるほど、その負担は大きくなる。また高齢社員間の仕事能力の差も拡大し、一律に扱うことの弊害も生じる。 定年制は、企業にとって年功賃金の清算と、仕事能力に欠ける一部の社員を円満に解雇できる貴重な機会であり、その廃止や延長は容易ではない。 しかし、人手不足が深刻になるとともに、定年後も十分に働き続けられる大多数の社員を失うことのコストは、より大きくなる。年齢に関わらない同一労働同一賃金や解雇の金銭解決の仕組みの導入は、長らく議論されているが、ほとんど実現していない。 米国など多くの先進国では、同じ仕事能力を維持している高齢者を解雇することは「年齢差別」として禁止されている。これは、個々の職務に必要な仕事能力に欠ければ、年齢に関わらず解雇されることと、表裏一体の関係にある。 個人の仕事能力差に関わらず、一律の雇用保障と、定年で一律の解雇との組み合わせの日本と、どちらがより公平な仕組みだろうか。 ◇年齢に中立的な社会保障制度へ 高齢者の定義を変更することの目的のひとつは、年金支給開始年齢の引き上げにある。これについては、生涯を通じた「契約違反」という批判があるが、公的年金は税金にもとづく福祉ではなく、「年金保険」であることを理解していない。100歳を超えても受給できる終身年金を維持するためには、他方で早死にして年金を受け取れない人も必要だ。これは早死にした人の家族に、長生きした人が保険財源を移転する生命保険と正反対の機能だ。 国民の平均余命が5年延びれば、それだけ長く保険料を払わなければ年金保険は維持できない。さもなければ長い老後を楽しむための費用は、誰かの負担増となる。 もっとも、高齢者は多様であり、80歳で元気な場合もあれば、60歳で働けなくなる人もいる。そのため、一定の減額率で年金を早期受給できる制度が用意されており、年金額が不足すれば生活保護で補うことも可能だ。 しかし、年金の支給開始年齢引き上げには、国民の大きな反発があり、最近ではフランスの大規模な反対デモもあった。しかし、マクロン大統領は屈せず、米国やドイツなどでも、すでに年金の支給開始年齢は67歳と、日本より高い水準にある。各国の大統領や首相が、年金制度の安定性を維持するためには不可欠だと、国民に粘り強く説得したためだ。 一方、目先のことしか考えない岸田文雄政権では、65歳支給年齢の引き上げの議論を封印している。 では長寿化による年金費用の持続的な拡大にどう対処するのだろうか。「マクロ経済スライド」という意味不明の名称を用いた、毎年の実質年金額の引き下げで、帳尻を合わせようとしている。OECD(経済協力開発機構)統計による日本の個人ベースの年金額は他の先進国と比べて低水準にあることから、実質的な国民の窮乏化策だといえる。 働けるうちに働いて、将来インフレに左右されない安定した年金を受給するか、それとも働けなくなってからインフレで目減りする年金を強制されるか、どちらが望ましいのだろうか。 今後の日本で、高齢者の定義を変えなければならないのは、日本が長寿先進国だからだ。個人の年齢に結びついた定年制などの制度改革を企業に促す労働市場改革が必要になる。 また、貧しい高齢者の扶養を勤労世代だけに押し付けるのではなく、同一世代内の豊かな高齢者の負担で賄うなど、税や社会保険制度の改革も不可欠だ。