故・平尾氏の意思を受け継ぐ同大ラグビー部の挑戦!
同志社大ラグビー部が、11シーズンぶりに全国大学選手権の4強入り。1月2日には秩父宮ラグビー場で、昨年のファイナリストである東海大と決勝進出を争う。1982年度から選手権3連覇を達成した関西の雄とあって、その動向が注目される。 スポットライトが当たる理由は、グラウンドの外にもある。同志社大は、10月に胆管細胞がんで亡くなった平尾誠二さんの母校。日本代表監督も務めた「ミスター・ラグビー」は3連覇時の中心選手でもあったのだ。 創部100周年の節目だった2010年には、クラブ史上初めて下部リーグとの入替戦を経験。長らく不振にあえいでいた同志社大だったが、ここ数年は復権の兆しを覗かせる。昨季は所属の関西大学Aリーグを8年ぶりに制覇し、今季は全国ベスト4入りを達成。その背後では、高校生のリクルーティング、指導体制の整備を成功させていた。 スカウト活動が熱を帯びたのは、日本で最もラグビーの盛んな九州地区である。就任4年目の山神孝志監督曰く、「(小中学生向けの)ラグビースクールが盛んで、皆タックルができ、進学校にも強いチームが多い」とのことだ。 九州勢の筆頭格は、4年生の永富健太郎だろうか。福岡県立修猷館高から入部したスタンドオフで、ゴールキッカーも務める。その延長線上で、2学年下の弟、晨太郎も同志社大の門を叩いた。永富晨は、東福岡高3年時に全国大会3冠(選抜大会、全国7人制大会、全国大会)を達成したセンター。年代別の代表にも名を連ねている。 最上級生では他に、福岡高出身で元20歳以下日本代表ナンバーエイトの末永健雄、大阪の常翔学園高3年時に高校日本一となったロックの山田有樹主将、同じく常翔学園出身で7人制日本代表経験者のウイング松井千士副将、東福岡高の全国大会連覇を3でストップさせた茨城・茗渓学園高で主将だったスクラムハーフ大越元気などがいる。 さらに、やはり大阪の強豪である東海大仰星高からは3年生フランカーの野中翔平が加わった。系列の同志社高から入ったウイング安田卓平は、入学後のパフォーマンスが認められて若手中心の日本代表に名を連ねた。 山神監督のもとに多士済々のメンバーが揃う傍ら、30代のOBも集結した。近鉄前主将の太田春樹氏が攻防の起点となるスクラムなどに目を光らせ、元東芝の仙波智裕氏も若き名手にアドバイスを送る。いずれも日本代表経験者だ。さらに関西学院大のヘッドコーチだった萩井好次も入閣。スタッフが充実するなか、山神監督は目を細める。 「(仙波氏、太田氏ら)ジャパンでやってきたコーチは自分で動けて、戦うマインドを教えられる。萩井は対戦相手から観た同志社大という、こっちがいままで気づかなかった視点を与えてくれる。言っていることが(自分と)同じでも、伝え方が違うだけで新鮮に映って、より深く浸透するのかな」 なかでも今季からフルタイムのバックスコーチになった大西将太郎氏は、攻撃の方向性を明確化。ゴールキックの指導を受けた永富健は「いつも同じタイミングで蹴るように、と。自分のなかではいい感触」と、バックスを引っ張る大越は「優しく、アタックの戦術を整理してくれた。いてくれてよかったと思える場面はたくさんある」とそれぞれ感謝する。 前年度限りでスパイクを脱いだばかりの大西コーチは、日本代表のスタープレーヤーだった。いまはテレビ解説や競技普及イベントへの出演をこなすかたわら、京都府京田辺市の人工芝グラウンドで後輩たちを指導。右肩上がりのチーム状態を、こう捉えていた。 「もともとポテンシャルの高い選手が集まっていた。同志社大が忘れていた勝つ喜びを身につけていってくれて、ひとつにまとまってきたと思っています」 平尾さんの逝去といまの快進撃の関連性は、各種メディアが論じるほど濃くはない。実はシャイでもあったレジェンドの話題には、大西コーチもこう触れたものだ。 「平尾さんは同志社大の誇りで、いまの選手にとっては親近感が沸きづらいくらい偉大です。そういう意味では、残してくれたいい部分を僕たちの年代が伝えていかないといけない。ただ、『それ(平尾さんの教え)を気にしろ』と言うことはないです。平尾さんも、『自分のために…』と言われるのは苦手な方なので」 もちろん、平尾さんの時代から続く伝統はゼロではない。その最たるものは、選手たち自らが面白みを創るという姿勢だろう。