自転車こそが「ゲームチェンジャー」実体験で検証した戦場における有用性(レビュー)
近年、安全保障の世界は「ゲームチェンジャー」を求めている。戦場における形勢を一変させる技術や装備品のことだが、本書は「自転車」こそ可能性の塊で、先の大戦で活用されていたら日本軍の有利なように戦局が変わっていた可能性を指摘する。正直に言って驚かされた。 1940~50年代、インドシナ戦争ではベトミン軍が、乗らずに押して歩く「ツェ・トー」と呼ばれる輸送用自転車で、長距離補給を成功させたとされる。1~2人ずつ、リレー方式で物資を運ぶという手法だ。 わが国においては、1941年のマレー作戦で「銀輪部隊」が活躍したことは知っていた。が、それ以降、日本軍が自転車を活用したという話は聞いたことがない。ともあれ当時、日本製の自転車は世界中に輸出されていたから、戦地でも部品調達は可能だった。英軍は日本軍の通行を阻むため、ことごとく橋梁を破壊した。工兵部隊は各地でその修復を迅速に行い、時には身体を張って橋の支柱を支えて戦車やトラックを通らせたという。その苦労は賞賛に値するが、自転車が活用されていたら、それを歩兵が担いで川を渡ることができたかもしれない。 冒頭、著者は〈サドルも、チェーンも、ペダルも、ギヤも、ゴムチューブも無い「押して歩く」だけの自転車―それは今なら「手押しスクーター」とも呼ばれましょう―を調えるという着想が、もし戦前のわが国の指導者層に持てていたならば、先の大戦で、わが国は、敗けなかったかもしれません〉という。 無論、自転車の利用で全国的な空襲や二度の原爆投下、そして敗戦まで免れることはできなかっただろう。それでも著者は、戦地での餓死や置き去りは減らせたのではないかと訴える。 10万人の兵員が動員された、悪名高きインパール作戦ではおよそ3万の兵士が命を落とした。指揮を執った牟田口廉也陸軍中将は「ジンギスカン作戦」なる珍妙なアイディアで、牛を物資運搬手段にするよう命じたが、結果的に自ら物資を担ぐハメになった兵士は糧食難と疫病に斃れていった。この時、多数の自転車があったら、日本軍は多くの同胞を道端に置き去りにすることもなく、「白骨街道」との呼称も生まれなかっただろう。 著者は国内の野山で自転車を手押しし、その効果を体験的に理解した。その取り組みこそが、本書に圧倒的な説得力をもたらした。「ゲームチェンジャー」は最新技術とは限らない。著者はその事実を、戦後79年目を生きる私たちに示唆している。 [レビュアー]桜林美佐(ライター・防衛問題研究家) さくらばやし・みさ日本大学藝術学部卒。フリーのアナウンサー・キャスター、テレビ番組ディレクターなどを経て現職。著書に『奇跡の船「宗谷」』(並木書房)等がある。 協力:新潮社 新潮社 週刊新潮 Book Bang編集部 新潮社
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