【OGカバーモデル・田波涼子さん】100体着替えるJJ時代から、CLASSY.へ|CLASSY.
白シャツとデニムというThe CLASSY.スタイルが最高に似合っていた田波涼子さん。歴代でも長くカバーを務め、現在はモデルを一旦お休みして、二人のお子さんの子育てに奮闘中。そんな涼子さんの思い出と今を語っていただきました。今回は、モデルスタートしたJJとCLASSY.のことについて。 【写真あり】2児の母とは思えない!田波涼子(50)のスタイル
―JJ時代とCLASSY.時代との違い―
まずご飯(笑)。ランチがきちんとお昼に食べられる(笑)。時代性も雑誌のカラーもあるから、どちらがいい悪いではないのですが、JJは若いパワーがいっぱいでした。JJ の時はとにかくカット数がすごかったので、食事の時間は流れ作業のようにご飯もコンビニでとか、深夜12時にピザ取る?夜中ですけどね、みたいな状態で(笑)。これが終わらないと帰れませんという感じでしたし、本当に終わるまで帰れませんでした。当時は埼玉に住んでいたから、終電まで間に合わず仮眠室で寝たり…。その頃はカメラもデジタルじゃなかったから今よりもずっと時間がかかっていました。あるカメラマンさんは大量のカット数のために何百本というフィルムを使っていて。一人でするには相当の時間がかかるので、途中からは私がフィルムチェンジを手伝って、結果、私もできるようになっちゃった(笑)。モデルなのにフィルムチェンジ、できます! JJの時は、1回の撮影に一人100体くらいコーディネートされた服を着ていました。カットも小さくて、誌面だとちょっとこれ、印刷ズレてません?みたいな。ほんとに目とかちょっとズレていたんです(笑)。雑誌に載った時に35ミリのフィルムの原寸よりも小さくなっていることもあって。そんな笑えるようなエピソードも今思い出すといい経験です。 CLASSY.にきたら、1ページ1枚の写真も多くなって、それこそ重みが違いました。どちらがいい悪いではないけれど、そういう作り方の違い。JJという学校を卒業してCLASSY.という社会人になったようなイメージです。JJは何コーデ着られるかっていうことが重要だったけど、CLASSY.にきたら、たった一枚のシャツをどう見せたら魅力的なのかということを考えてました。ポーズはもちろん、笑い方も変えたり。JJではにっこり笑顔ばかりだったけど、笑わないのもカッコいいんだって。笑顔だけでない表情作りやポージングもすごく勉強しました。いろんなものを見て、動きとかも変えて試行錯誤しながら想像するようになりました。JJの時は表現というより、いかに早く着替えられるかが勝負だったので。1カット終わったら、脱ぎながら次に行くみたいな(笑)。でも、逆にその経験ができてよかったです。あの苦労があったから、CLASSY.はすべてが楽しかったし、新しい発見だらけでした。 27、28歳の頃かな、JJとCLASSY.が重なっている時期もあって。今が頑張りどころだと倒れるまで無理していたことも。倒れて初めて限界を。それが当時、年齢とともに人間の成長と重なったような気がします。自分の変わっていく様も嬉しくて、楽しかったんです。