片岡義男の「回顧録」#5──『幸せは白いTシャツ』とCB450
■クジラタンクを廃してスタイルを一新。 CB450(1968年)
68年、それまでの通称〝クジラタンク〟を装着した初代モデルから、現代風に進化したティアドロップタンクをまとったモデルが登場した。「CB450(K1)」と呼ばれるこの新型車は、排気量や基本スペックこそ変わらないものの、従来モデルより最高出力が2psアップし、ミッションにも5速が採用されていた。0-400m加速は13.2秒とわずかに向上しており、ホイールベースを25mm延長したことで、操縦安定性も高められていた。
■鮮やかなカラーが印象的な追加モデル CB450エクスポート(1969年)
69年になると、従来のCB450 K1に加え、鮮やかなキャンディトーンのタンクを採用した新モデルが設定された。「CB450エクスポート」と名付けられたこの追加モデルは、同年に国内販売が開始されていた「CB750Four」の燃料タンクと同じイメージでまとめられており、基本スペックこそK1と同じながら、まったく異なる若々しい雰囲気を発散させていた。
■高性能版とスクランブラーを追加 CB450セニア/CL450(1970年)
外観イメージをCB750に近づけたエクスポートに、今度はCB750のフロント回りまで移植してしまったのが「CB450セニア」である。エクスポートと比較して、すぐにわかる外観上の違いは、このモデルのみに採用されたディスクブレーキの存在だ。直径244mmのディスクブレーキは、従来のドラム式に較べてストッピングパワーが飛躍的に向上、さらに前輪は18インチから19インチに拡大されており、フロントフォークもCB750譲りの剛性の高いタイプが装着されていた。 また、この年には、67年に輸出仕様として登場した、CB450ベースのスクランブラー「CL450」の国内販売も開始された。輸出仕様のアップマフラーが左右1本ずつに分けられていたのに対し、国内仕様は左側2本にまとめたスタイルを採用。基本コンポーネンツをCB450と共用しつつも、エンジンは中低速向けにセッティングが変更されていた。フロントタイヤも悪路に強い19インチを装着、オフロードで抑えがきく、ブリッジ付きのアップハンドルが採用されていたのも、このモデルの特徴だった。 450ccの排気量で650ccを凌駕するために開発されたCB450。確かに当初の目的は達成され、一時は「オートバイの王様」とまで言われるほど、その動力性能は群を抜いていた。しかし、その生涯は短く、輝きは一瞬だった。DOHCという、当時としては画期的なメカニズムを取り入れたCB450を脅かし始めたのは、他ならぬCB750Fourの国内販売、そしてカワサキ「500SSマッハⅢ」の登場だった。大排気量ツインとは互角以上に渡り合えたCB450も、750㏄の4気筒や、2サイクル3気筒の絶対性能にはかなわなかった。また、70年登場のヤマハ「スポーツ650 XS1」のように、650ccツインもOHVからOHCへと進化しており、かつての優位性は失われつつあった。 69~70年に相次いで国内販売が開始されたこれらのモデルにより、その後のスポーツバイクは、大排気量マルチの時代へと大きく舵を切る。そして、そのことをいちばんよく分かっていたのがホンダだった。71年、ホンダは新たな4気筒モデル「CB500Four」を市場に投入。クラス最強の称号は、CB450からこの新型マルチへと受け継がれていった。 4サイクル、2サイクル、マルチ、ツイン、OHV、OHC、DOHC…あらゆる方式が試され、各メーカーがしのぎを削った60年代後半~70年代初頭は、いま思えばまるで戦国時代のようなものだ。その混乱に終止符を打ったのが大排気量マルチのCB750Fourであったとすれば、CB450は、戦国の世に消えていった、「ホンダ最後のスピードツイン」といえる一台ではないだろうか。
文=KURU KURA編集部 写真協力=本田技研工業(株) 参考資料=自動車ガイドブック(日本自動車工業会)、日本のモーターサイクル50年史(八重洲出版)、HONDAⅠ(ネコ・パブリッシング) (JAF Mate 2017年4月号掲載の「片岡義男の「回顧録⑤」を元にした記事です。記事内容は公開当時のものです。)
文=片岡義男/KURU KURA編集部