片岡義男の「回顧録」#5──『幸せは白いTシャツ』とCB450
HONDA CB450ミニヒストリー
『幸せは白いTシャツ』の文庫本には、三好礼子さんが乗るCB450の写真が、随所に挿入されている。青い空と入道雲をバックに四国の街道を走るその姿は、まさに真夏のツーリングならではの風情にあふれている。 連載第1回を飾った『ときには星の下で眠る』には、片岡義男氏の友人が跨るW1SAが、紅葉の深まる信州を駆け抜けてゆく写真が挿入されていた。入道雲と紅葉、そしてその中を走る1台のオートバイ。バイク乗りたちが思い描く、極めてシンプルな憧景がモチーフになっている点で、2つの作品は対になっているような気がしてならない。 『幸せは白いTシャツ』に登場するCB450は、名車揃いの歴代CBの中では、あまり目立たない存在である。多くの人にとって「CB」とは国産4気筒モデルの象徴であり、単気筒や2気筒のCBはなんとなくマイナー感が漂う。だが、CB=4気筒のイメージは、爆発的ヒットとなった1969年のCB750Four以降のことであり、それ以前のCBは2気筒が主流だった。本作品に登場するCB450とは、どんなオートバイだったのだろうか?
■650ccを超える性能を追求したハイテクツイン CB450(1965年)
小説に登場するCB450の初代モデルは65年に登場した。当時の国内のモーターサイクルシーンは、250cc以下のモデルが主流で、ホンダのラインナップでも、350㏄が最大排気量という状況。まさに、国産メーカーが70年代の大排気量時代へ向けて、これから加速していこうとする時代だった。そして、その先鞭を切ったのが、当時、国内最大の排気量を誇った「カワサキ500メグロK2」だった。トライアンフなどの英国製バーチカルツインを手本にしたメグロK2は、最高出力36psの500ccOHVツインを搭載し、165km/hの最高速度をマークする、この時代のトップランナーだった。 だが、ホンダが目指したのはそこではなかった。高回転型スポーツユニットには向かないOHVという弁機構の限界を見切っていたホンダは、単にOHVのまま排気量を拡大して高性能を目指すのではなく、エンジンのメカニズムそのものを刷新することで、トライアンフなどの英国製スピードツインにも対抗しようと考えていた。そうして誕生したのが、当時の市販車で唯一のDOHC機構を採用したCB450だった。 「オートバイの王様」というキャッチコピーが与えられたCB450は、エンジンの回転にとことんこだわったオートバイだった。CB450のDOHCヘッドには、高回転時のバルブ追従性を高めるトーションバーバルブスプリングが採用され、タペットには扁心式の調整機構も備わっていた。また、気化器には量産車初のCV(負圧式)キャブレターが2個装着されており、444㏄の排気量ながら、メグロK2を上回る43psの最高出力を発揮した。当時の記録によれば、0-400m加速は13.9秒、最高速度は180km/h。これは、66年にメグロK2が650ccのW1へ進化した後でも、十分に対抗できるパフォーマンスだった。CB450は、66年にCB450Ⅱに進化。テールランプやウインカーの視認性向上や、ヘッドライト光量の増加が行われたほか、フレーム剛性もアップされた。また、その高性能ぶりが認められ、白バイ仕様も数多く生産された。