「最後には謙虚さが勝つ!」ということを証明した遅咲き大ヒット漫画家・三田紀房の半生
三田紀房の謎
『ドラゴン桜』『アルキメデスの大戦』『クロカン』などのヒット作で知られる漫画家・三田紀房さんと出会ったのは1989年。三田さんは31歳、まだデビューして1年余りの新人漫画家だった。 【画像】三田紀房さんのヒット作の数々 この年、コミックモーニング編集部に異動してきた私は、三田さんが別冊の月刊アフタヌーンに連載していた『空を斬る』の担当を引き継ぐこととなったのだ。 あれから35年、定年後の再雇用も終わりが近づき、講談社での最後の仕事として、三田さんの半生記『ボクは漫画家もどき イケてない男の人生大逆転劇』(講談社ビーシー/講談社)を編集することになった。 入社してから41年、漫画、ノンフィクション、文芸と様々なジャンルの編集に関わって来て、なぜ最後の仕事として、このテーマを選んだのか。 30年を超える付き合いのなかで、どうしても知りたい「三田紀房の謎」があったのだ。 三田さんは1歳年上でほぼ同世代。私は異動が多かったせいで、担当者として濃厚な絆を築けたわけではなく、仕事をしては離れ、また再会しては仕事をするという付かず離れずの関係だったのだが、仕事ぶりそのものよりも、彼の生き様が特に印象に残っていた。
なんの取り柄もないと思い込んでいた少年時代
三田さんはあまり自らのことをぺらぺら話すタイプではないのだが、三田さんの故郷・岩手県北上市の喫茶店で、甲子園取材のバックネット裏で、プロ野球キャンプ取材の往復の飛行機の中で、ぽつりぽつりと語られる彼の半生はとても興味深いものだった。 自分はなんの取り柄もないと思い込み、「将来の夢は何?」と聞かれることがとてもイヤだった少年時代。高校を卒業して上京するも東京に馴染めず、引きこもったこともあったという学生時代。 23歳で家業を継いだとたんに1億円の負債があることが判明し、働いても働いても苦しい生活の中で、ただ自由になるお金がほしくて漫画雑誌の新人賞に応募したのが漫画家になったきっかけだという。しかも、デビューしてから10年近くは泣かず飛ばずだった……。 端から見れば、マイナス要素ばかりの前半生だ。 ところが、彼は40代も半ばになってから、大ヒット作をものにして売れっ子漫画家となり、億単位のカネを稼ぐようになった。 この人生の大逆転劇はどのようにして生まれたのか。 その謎が知りたくて、長時間のインタビューを重ねてまとめたのが、この『ボクは漫画家もどき』なのだ。 これまで自分の半生を振り返ることなどなかったという三田さんだが、繰り返し質問を重ねるなかで、彼の半生のある傾向が見えてきた。