「睦ちゃん、愛してる」言葉も表情も失い衰弱する妻を介護した夫 難病『意味性認知症』と向き合った夫婦の物語【長崎発】
「延命措置をしない」決断
2023年1月末、睦さんは飲み込む力が衰え、食欲も落ちていった。食べないことが介護する嘉人さんを苦しめる。 岩永嘉人さん: しかめっ面するな。悲しくなるやろ。そんな顔したら。 自分の意思を伝えることができない睦さんの人生は、嘉人さんに委ねられていた。「夫婦らしい暮らしを続けながら静かな最期へと導いてあげたい」。嘉人さんは自宅で看取り、延命措置をしないことを決めた。 岩永嘉人さん: 睦らしく生きる、無理に胃ろうで栄養を注入したりとかは彼女も望まないだろうし、そこは自然に睦の生きる力がなくなった時が最期だと思ってるから無理に延命はしない。穏やかに最期を迎えて欲しいだけ、もちろん苦しまずに。 2023年2月、東京で働く息子の嘉彦さん(当時36)が実家に帰ってきた。 息子・嘉彦さん: お母さん、ただいまー。ただいま、今帰ったよ。 岩永嘉人さん: 寝てる?わかるか?アハハ、寝るな。帰ってくるけんねって言ってるんだけどね、その記憶はないんだよな。 息子・嘉彦さん: ちょっと笑ってないか?2人で飲みにいったりしてたやん。高校の時は別に何時に帰ってこようが。 岩永嘉人さん: 二人で飲食してたよね。特にお前が東京に行ってからは。焼き鳥食べに言ったり。この人が言うから。自分が料理したくない時はどこか食べにいこうかすぐ言う。 嘉彦さんは、延命措置をしないという父親の覚悟を受け止めた。 息子・嘉彦さん: 選択肢はいろいろあったけど、父親自身がおふくろの事は俺に任せろと、大丈夫だからと言った時にもう任せよう。延命治療をしない決断をするに至っても父親の中では葛藤があったと思うので。たぶん一緒にいてやりたい時間を長くというよりも、濃い時間をたぶん一緒にいてやりたいのだと思う。
「睦ちゃん、いつまでも愛しているよ」
月に一度は2人そろって美容室にでかけたり、教え子との語らいは夫婦にとって何よりも楽しみだった。 2024年8月5日、睦さんは呼吸困難になり、この日を境にさらに衰弱していった。 9月の終わり、嘉人さんは介護の通所サービスと訪問看護の利用をやめ、睦さんを自宅で看取ることにした。 岩永嘉人さん: 本当に自然体で生きようとしているんじゃないかな。安心する場所で一番安心する人に見守られながら最期を迎えるというのが一番幸せなのかなと思うけどね。ね、睦ちゃんね。 そして、2024年9月28日 岩永睦さん永眠。享年70だった。 告別式を前に、睦さんの最後の化粧をしたのは嘉人さんだった。告別式で嘉人さんは睦さんとともに過ごした日々を振り返り、喪主としての言葉を述べた。 岩永嘉人さん: 意味性認知症という病気は非常に残酷な病気です。私は妻の病気の進行に戸惑いました。精神的にも介護する上においても大変だったんです。妻がどんどん痩せていくのを見るのは辛いものでした。私たちは多くの人からたくさんの力をいただきました。全ての人に感謝する気持ちでいっぱいです。最後に妻にちょっと言い忘れたことがあります。睦ちゃん、嘉人さんはいつまでも愛しているよ。ありがとう。 2024年10月、嘉人さんは祭壇に手を合わせていた。睦さんの写真を助席に乗せて、出かけたのは睦さんとよく出かけた公園だ。 岩永嘉人さん: 見える?着いたよ。懐かしいね。 岩永嘉人さん: 5年7カ月介護してて、だんだん2人の関係が濃くなるのよね。最期は睦、二人だけで死を迎えようねって、それを選ぶのも僕だったんだけど。「私も最期だからあなたの言うとおりにするよ」とかってそういうことを思っちゃったからね。自分のことを全て睦が受け入れてくれている…ちょっときついんだけど…受け入れている。なんかこう僕のことをもう包みこんでる。人が一体化したような感覚があって。この感覚だけは大切に一生持ち続けたい。今から僕は立ち直ることができるし、睦があなたなら大丈夫って言ってるから俺も大丈夫よって、お前が言った通りだったよって(睦に)言いたいしね。 夫婦で歩んだ日々の記憶と深い喪失感…。感情のはざまで揺れながらも嘉人さんは前を向いて生きていく。 (テレビ長崎)
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