『新宿野戦病院』宮藤官九郎が描いた完璧なエピソード ヨウコの執念と勇太の後悔と苦悩
8月21日に放送された『新宿野戦病院』(フジテレビ系)の第8話は、宮藤官九郎ドラマの真髄を見せつけられる完璧なエピソードであった。あらゆる社会病理が蔓延する現代歌舞伎町のなかで、それらを引き起こす主要な要素のひとつである“性”と“他者への想像力”というテーマに触れていき、現実の事件を彷彿とさせる出来事を笑いを排して絡め、それでいてこれまでこのドラマがやってきたトーンを頑なに崩さない。おそらくクドカン以外でこの脚本は書けないであろう、間違いなくここ数年の国内ドラマ随一のベストエピソードに、思わず画面にかじりつくように観てしまった。 【写真】命について説くヨウコ(小池栄子) いつものように雑談を繰り広げる聖まごころ病院の面々のかたわらで、日本の医師国家資格を取得するための勉強に励むヨウコ(小池栄子)。すると白木(高畑淳子)はやぶからぼうに「ハプニングバーって何?」と皆に訊ねる。どうやら紛失したスマホの位置情報を確認したところ、ハプニングバーが入った雑居ビルにあることが確認できたのだ。ところがそれが自分のスマホではなく夫のものだとわかり、怒り心頭で店に乗り込んでいく。ハプニングバーの具体的な説明をせずとも、ひとつの空間に集まった主要な登場人物たちのテンポの良い会話と、テンションの高さで笑いを生みだす秀逸なタイトル前の一連となる。 その一方、街ではカエデ(田中美久)というコンカフェ店員の少女が客からの付きまとい被害に遭い、舞(橋本愛)のいるNOT ALONEに助けを求めにやってくる。そこで勇太(濱田岳)は加害者に警告をするために、亨(仲野太賀)たちと共にコンカフェへ向かうのだが、そこは先述の白木の夫のスマホの位置情報が指していた雑居ビルのなかにあり、白木の夫はハプニングバーではなくコンカフェに入り浸っていたことがわかるというかたちで、“ハプニングバー騒動”は一旦解決するのである。 この前半部は、歌舞伎町=混沌としたムードを聖まごころ病院の関係者を介して笑いへと昇華させる基本的なストーリーテリングを選びつつ、ストーカー被害に関して警察が警告できる範囲の限界、そしてそれによって報復が起こりうる状態への危惧と問題提起がなされる。いうまでもなく、ストーカー被害の相談を受けた警察が警告以外なにも対処できず、それが報復行為に発展して凄惨な事件へとつながった例は現実に何度も起きている。笑いに変えても良い要素と、絶対に変えてはならない要素。その両者を混在させ、メリハリをつけるのもクドカンの社会派コメディではおなじみのものといえよう。 そのカエデという少女がコンカフェを辞める出勤最終日に事件が起こり、ここからドラマのムードは一変。雑居ビルで爆発が起き、多数の負傷者がまごころへと救急搬送されてくる。次々と運び込まれてくる患者をトリアージし、全員総出で処置を行っていくなか、そこにはストーカー加害者の男もいる。爆発を引き起こした犯人であると嫌疑をかけられた男を助けようとするヨウコにコンカフェの店長が「人殺しを助けんのかよ」と言うと、ヨウコは間髪入れずにこう返す。「被害者じゃろうが加害者じゃろうが人殺しじゃろうが、ぜってえ殺さん」。 2001年9月1日に起きた歌舞伎町ビル火災。2019年7月18日に起きた京都アニメーション放火殺人。このふたつの事件が今回のエピソードの背景にあることを想起させる後半の展開には、“命だけは平等”であるという医療従事者の執念と、中途半端な介入しかできないことが大きな事態を引き起こすことになってしまった勇太の後悔と苦悩を物語る。それでも疲弊しきったまごころの面々の前に、コンカフェで行方不明になったと思われていた白木の夫が無事で現れる点、最も甚大な被害を受けた場所にいたカエデらが無事であったことから、おそらくは死者が出ていないと思われる点にささやかな希望が見出される。 そして、まごころの屋上から見えるビルの変わり果てた姿。混沌の果てに起きてしまう暴力が、多くの人に与える無力感。その絶望以外のなにものでもない光景で幕を下ろすラストショットに重ねられるいつもと同じナレーションは、いつもと違うもののようにも聞こえる。エンドクレジットに入る一瞬の刹那も含め、これは1時間枠(正確には44分33秒)の作品として完璧としか言いようがない。
久保田和馬