「魔力ともいうべき特殊な政治力を感じた…」読売主筆・渡辺恒雄氏が分析していた、政界で権力を保持し続けるための「必須条件」《『自民党と派閥』緊急復刊》
---------- 読売新聞グループ本社代表取締役主筆である渡辺恒雄氏が1967年4月に刊行した『派閥と多党化時代―政治の密室 増補新版』が、4月26日に『自民党と派閥 政治の密室 増補最新版』として緊急復刊する。当時、30代後半から40代初めの政治記者で、幅広く政界を取材していた渡辺氏の分析は、「政治とカネ」や「派閥」が大きな問題となっている現代にも通用するものが少なくない。復刊した本書の内容の一部を特別公開する。 ---------- 【一覧】「次の首相になってほしい政治家」ランキング…上位に入った「意外な議員」 『「薄暗くなったホテルの一室で老人が、顔をくしゃくしゃにして泣いていた」読売主筆・渡辺恒雄氏が現役政治記者時代に見た「最も悲劇的な光景」』より続く…
三億の実弾が入ったボストン・バッグ
それは昭和三十五年七月十三日、自民党の第五回総裁選挙が行われる予定の日であった。通産大臣池田勇人に次いで有力候補だった副総裁大野伴睦が、突然戦わずして立候補を辞退、党内は大騒ぎとなり、大会は一日延期された。翌日の第一回投票で、池田勇人は過半数を獲得できなかったが、決選投票では、池田派のほか川島系を含めた岸派、佐藤派、藤山派の票が、ナダレをうって池田勇人に流れ、大野派、石井派、河野派、三木・松村派、石橋派の五派連合軍を圧倒し、その後四年半の長期政権を握る池田内閣が誕生したのであった。 保守合同後、今日まで八回繰返された自民党の総裁選挙の中でも、この時の選挙は、謀略、黄白の乱舞、虚言、裏切り、などなど、政治悪の爆発的に表現された典型的なドラマとなったものであった。大野伴睦も、この選挙で三億円近くの資金を費やしたというが、その結果は、副総裁の椅子を失い、自他共に、二度と政権を狙うチャンスはないことを認識しただけであった。政界入りして五十年間、夢に見た椅子は、これで永久に手に届かぬものになったのであった。 この選挙戦で、大野派を担当させられていた私は、ホテル・ニュージャパン新館五階の大野事務所に詰めていた。が、この事務所は、多数の新聞記者や政治家で満員電車のようになり、その中には、敵方のスパイもいるというので、別の階に秘密の部屋をいくつかとっていた。その部屋の番号を知っているのは、七人の参謀と秘書の山下勇だけであった。七人の参謀は、水田三喜男、村上勇、青木正、福田一、徳安実蔵、村上春蔵、小西英雄だったように記憶する。候補者大野伴睦を探していた私は、ようやくその秘密の部屋のひとつに、もぐりこむことに成功した時、そこにふたつのボストン・バッグが無雑作においてあるのを見た。それに、三億の実弾が入っていると教えられた時、私は、そこから一種の妖気のようなものを感じ、ゾッとしたのをおぼえている。 ところで、あの日、敗北の悲嘆にくれていた大野の口から吐き出された老練な政治家××は、今日も自民党の実力者の一人であるが、その一カ月後のある朝××は、大野邸を訪れた。口もきかぬ仲になっていた二人の対面を、私は不思議に思っていたが、その日の夕刻には、二人はホテル・ニュージャパンの大野事務所で、仲良く麻雀に興じていた。私はそこに××の魔力ともいうべき特殊な政治力を感じたものである。