高橋ヨシキが映画『マンティコア 怪物』と『システム・クラッシャー』をレビュー!
日本有数の映画ガイド・高橋ヨシキが新作映画をレビューする『高橋ヨシキのニュー・シネマ・インフェルノ』! スペインの鬼才が描く、あるクリエーターの心の闇!&制御不能な子供の彷徨を描くドイツ映画! * * * 【写真】『システム・クラッシャー』のレビューにも注目! 『マンティコア 怪物』 評点:★3.5点(5点満点) 心の深奥の怪物が頭をもたげるとき この映画は古典的な「狼男もの」の映画に着想を得て作られたという。 「狼男もの」は一般に、性的なアグレッションのメタファーとされており、たとえば変身に際して毛がどんどん生えてくるのは第二次性徴のホラー的な解釈だとみなすことができる。 ひとたび狼男となった人間は欲望のままに血を求めてさまようが、元の人格は意識不明でそれをどうすることもできない。 本作の主人公はゲームデザイナーで、VR空間に自らの秘めた欲望の対象を作り上げて性的な充足を得る。 彼は自分の欲望が絶対に容認され得ないことを分かっている。やがて彼はボーイッシュな若い女性と出会い、彼女を通じて自分の欲望が「昇華される」ことを期待する。 それはそれで恐ろしく失礼だし不愉快な行為でもあるが、本人にとっては切実な問題である。「昇華」できなかったら内なる怪物が(題名の『マンティコア』は人頭虎身の伝説上の怪物のこと)解き放たれてしまうに違いないからだ――というか、最もぞっとさせられるのは、そうなるであろう、という「確信」を彼が抱いていることだ。 そういう「狼男」がまったく想像上の存在ではない、という現実がずっしりとのしかかってくる。 STORY:空想のモンスターを生み出すゲームデザイナーの青年フリアンは、隣人の少年を火事から救ったことをきっかけに謎のパニック発作に悩まされる。やがて、フリアンが抱えるある秘密が、思わぬ怪物を生み出してしまう 監督・脚本:カルロス・ベルムト出演:ナチョ・サンチェス、ゾーイ・ステイン、アルバロ・サンス・ロドリゲスほか上映時間:116分 シネマート新宿ほかにて全国順次公開中 『システム・クラッシャー』 評点:★4点(5点満点) 「順応すること」をどこまでも要求する社会 あるトラウマから異常に乱暴な性格になった9歳の少女ベニー。母は娘との接し方がわからず施設に押し付けるが、本人は母の元に帰りたがっていた。 そんな中、非暴力トレーナーのミヒャは隔離療法をベニーに施すことを提案する 題名の『システム・クラッシャー』というのは「行く先々で問題を起こす、制御不能で攻撃的な子供」を指す隠語だという。本作の主人公ベニーはまさにそのような子供である。 彼女には彼女なりの理由がいろいろある。それはトラウマ的な記憶だったり、制御不能な暴力行為を誘発する「トリガー」だったりするわけだが、まだ9歳の彼女を最も苛んでいるのは自分の立場や居場所について、自分自身に何の決定権もないことがもたらす圧倒的な無力感のうちにある。 「社会」はその成員に対して暴力的なまでに「順応すること」を要求し、それができない者は「アウトサイダー」として社会から隔離されることになってしまうのが常だ。しかし9歳の子供を「隔離しなければならない」と考える「社会」とは一体何なのだろうか? もちろん、この抑圧はベニーひとりに向けられているわけではなく、周囲の(特に善意の)大人もその抑圧と無縁ではいられない。 「システム」=「社会」と「個人」の関係はどこまでも不均衡だ。人間はどこまでも「システムの都合」を内面化しなくてはいけないのだろうか? ベニーを演じるヘレナ・ツェンゲルの演技も文字通り圧倒的で、胸に突き刺さる。 STORY:あるトラウマから異常に乱暴な性格になった9歳の少女ベニー。母は娘との接し方がわからず施設に押し付けるが、本人は母の元に帰りたがっていた。そんな中、非暴力トレーナーのミヒャは隔離療法をベニーに施すことを提案する。 監督・脚本:ノラ・フィングシャイト出演:ヘレナ・ツェンゲル、アルブレヒト・シュッフ、リザ・ハーグマイスターほか 上映時間:125分 4月27日(土)よりシアター・イメージフォーラムほかにて全国順次公開予定