「Jクラブからオファー…自ら切り出す余裕も」U-23日本代表・大岩監督“続投会見”で記者が驚き「グチをこぼすのではなく」LA世代への教訓
パリからロサンゼルスへ――2028年五輪に向けてサッカー世代別日本代表監督は大岩剛監督の続投が決まった。パリ五輪を取材した記者が見た会見の表情と、五輪本大会でのドタバタ記とは。〈全3回〉 【写真】「み、水の色がヤバい…」セーヌ川で泳がされた選手、「開会式当日に鉄道テロ…」ドタバタすぎた花の都パリ五輪の舞台裏を全部見る
大岩監督は自らJクラブのオファーに触れた
2028年に行われるロサンゼルス五輪に向けて、大岩剛監督の続投が決まり13日に発表記者会見が行われた。集まった報道陣は70人弱、A代表関連の会見ほどの人数ではないものの、関心の高さが窺える規模だった。 会見には、宮本恒靖会長、大岩監督、山本昌邦ナショナルチームダイレクターが登壇し、続投の理由や経緯が説明された。 大岩監督の様子は、パリ五輪前とはだいぶ違って見えた。 経緯や決意を――と問われると、こう答えた。 「パリ五輪が終わって協会と、成果と課題を話し合う中で、早い段階で続投のオファーをいただいた。Jクラブからの(オファー)も含め、整理しながら今回の続投のオファーを受けることに決断した。その中で、この年代の重要性をパリ五輪代表を率いた2年半の中で、ものすごく感じました。日本サッカー界においての最重要課題だと思う」 当然と言えば当然だが、大岩監督からは五輪直前から大会中に漂っていた緊張感は消えていた。2期目ということもあってか、それとも次の五輪まであと4年間あるからなのか、口調は柔らかく、にこやかで率直だった。特に、Jクラブからのオファーがあり、比較し整理する中で続投に落ち着いたと自ら切り出すあたりは、余裕も感じられた。 Jクラブからのオファーについてはすでに各メディアで報じられ、ほぼ公然の事実化していた。だから、そこに触れず続投だけについて話すことが難しかった、とも取れる。それでも、自ら切り出す必要のなさそうなことに触れるあたりに、一つの変化を感じた。
LAではそれがないことを祈っています
Jクラブからのオファーに触れたのは監督だけでなく、山本ダイレクターもだった。 「個人的には、大岩監督に伝えたかは別にして4月のアジア予選(アジアカップ)で優勝してそのあとから強化部会を含めて検討していました。団長として近くで見て、これほど優れたリーダーはいない。親近感があり、謙虚で聞くことを知る、選手の話を聞く、モチベーター。いろんなJクラブからオファーが行くということは想定されていたから、早いタイミングでは全くないです」 と大岩監督が続投に値する人材であることを強調しつつ、事情を明かした。 パリ五輪とロス五輪への道のりで、最も大きな違いは日程にある。 パリ世代の監督就任が発表されたのは21年、12月6日。約2年半の準備期間は、まだコロナ禍の影響が拭えなかった。パリ五輪につながる大会は22年6月、ウズベキスタンでのU-23アジアカップ(U-21で参加、この大会で次のU-23アジア杯予選のポット分けが決まった)、23年9月、バーレーンでのU-23アジアカップ予選、そして24年4月のカタールで優勝したU-23アジアカップ兼パリ五輪予選の3つだった。ウズベキスタンでのU-23アジア杯までは準備期間が極めて短く、24年4月の五輪予選は日程が後ろにずれた。 「(パリ五輪前は)大会時期が変わったり、後ろ倒しになったり……(LA五輪では)それがないということを祈っています」
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