劇場で起こっていることは“事件”。 Aマッソ加納が小説の題材に選んだ 「お笑いライブ」の熱狂と非日常性
熱に浮かされているようなお笑いライブの非日常性
――作中にはライブ中に大きな笑いが巻き起こる瞬間も描かれています。それこそ、かつて加納さんと阿久津大集合さんが主催していた、芸人さん自身が面白いと思う芸人さんを呼ぶお笑いライブ『バスク』のように、時に熱狂を巻き起こすライブというものがありますよね? 内容としてはそれぞれの芸人さんがネタやコーナー、トークをするというシンプルなものなのに、なぜあんなグルーヴが生まれるようなことがあるんでしょう。 加納 うーん……。やっぱり売れている芸人だけが出ているライブでは、そういうことは起こりにくいと思うんですよ。まだ広く知られる前の、脂が乗っているタイミングの人たちが集まると、時折そういうことが起きるというのはあるでしょうね。それに、別に悪いことをしているわけではないですけど、ある程度クローズな場所での共犯関係という高揚感もあるでしょうし。次の日にも「熱に浮かされてたな」と思うような経験って、やっぱりライブならではだと思いますね。 ――作中の「劇場で起こっていることは、一歩外に出ればとんでもない事件に変わる」という一文も印象的でした。たしかに、お笑いライブは「ここで起こっていることはお笑い」という前提のもと、日常から離れていることが行われている場でもありますよね。 加納 観客のみなさんがそれぞれ所属している社会があって、そこを切り離してお金を払ってフィクションを見に来ている。やっぱり、そこではある程度の非日常性みたいなものを無意識に求めているんでしょうね。自分も、見る側になったときはそんな感覚があります。
芸人とファンとの距離感に思うこと
――加納さんはすでにある程度テレビにも出ていて、劇場に出る際には「売れている芸人」の側だと思いますが、かつてライブ中心だった頃と意識の変化はありますか? 加納 昔は肩に力が入っていたなと思います。劇場にしか出ていないときは、「ここでスベったら生きていけない」という感覚がありました。最近は、ちょっとは楽しめるようになってきたんですよね。それは悪い言い方をすれば、劇場がいろんな仕事のうちのひとつになったから。あと、メディアに出させてもらうことで、お客さまがもうパーソナルなところは知ってくださっている。その前提は、やっぱり若手の頃とは違いますね。 ――その変化は、ネタにも影響するものですか? 加納 ある程度二人を知っているという前提のあて書きが増えましたね。そういうネタもできるようになってきた。もちろん、そこにあぐらをかいてしまうことには気をつけないといけないけれど。 ――最近、芸人さんとファンとの距離感がSNSでも時々話題になっていましたが、加納さんはお笑いファンに対してどういう印象を持っていますか? 加納 個別にいろんな細かいしがらみはその都度あるのかもしれませんけど、お笑いファンって案外リテラシーが高いんじゃないかと思うことは多いですね。ライブ中に騒ぐとか、あまり聞かないですし。 ――たしかに、お笑いの告知って、初見の人に対して親切ではないことが多いので、とくに小さなライブは、ある程度その人のネタやキャラクター、ライブの内容をわかっている人が観客になっている感じはありますね。ファンと芸人との距離についてはどう考えていますか? 加納 個人的には芸人がお客さんのことに言及する機会が増えているのは、あまりいい流れではないな、とは思います。「言語化」という言葉が流行って、いまはあらゆることを言葉にする時代になっているじゃないですか。だから芸人がファンに対してどう思うだとか、こうしてほしいだとかの発言や芸人とファンのお互いに対する要求みたいなものが表に出がちな世の中ではありますけども。