″悩んだらとにかく動く″寺島 進インタビュー 「北野武監督の言葉を胸に役者人生を全うします」
″コワモテ俳優″の素顔
「初めてのスタッフばかりの現場なんだけど、すごく楽しくて。オヤジギャグを言うとウケるもんだから、調子に乗ってまたギャグ言っちゃうわけ(笑)」 【画像】演技以外で見せる顔は… 寺島 進 インタビューでみせた「素顔写真」 悪戯な表情を浮かべると、寺島進(60)の目尻に笑いジワが浮かんだ。″コワモテ俳優″の代表格として知られる男が演技以外で見せる顔は、驚くほど柔らかい。 10月18日(金)よる9時から放送開始のドラマ『D&D ~医者と刑事の捜査線~』(テレビ東京系)で組織に忖度(そんたく)しない刑事・弓削(ゆげ)文平を演じている寺島。本作は、地域医療が破綻の危機に瀕(ひん)した街を舞台に、弓削と主人公の医者がバディを組み、事件を解決に導くヒューマンミステリーだ。 「今でこそコンプラやらなんやらで時代に合わせなければならないけれど、弓削は本来絵に描いたような″昭和のデカ″。昭和スターの生きざまから感じたことを演技に活かしたいなと思って、今は高倉健さん(享年83)のエッセイ『あなたに褒められたくて』を読んでいるんですよ」 撮影初日、主演で医者役の藤木直人(52)や、警官役(のちに刑事)で共演シーンが多い若手俳優・前田拳太郎(25)に声をかけ、飲みに行ったそうだ。二人とも寺島にとって初共演となる。 「藤木君が、『前田君は寺島さんを前に緊張しているみたいですよ』って言うから、コミュニケーションをとろうと思ってさ。演技論を熱く語り合ったのかって? しない、しない(笑)。ひたすら飲んで、たいして仕事に関係ない話ばかりしてた気がするよ。でも、そういう他愛もないコミュニケーションは大事。喜びも苦しみも共にするっていうのが人間関係の基本だと思うから」 真面目な顔でそう語った後、「まあ、単に自分が飲みたいから誘っただけなんだけどね」とおどけてみせた。 ◆二人の″育ての父″ 役者デビューから40年。彼のキャリアは高校卒業後に『三船芸術学院』に入学したことに端を発する。三船敏郎が創設した俳優養成所で殺陣(たて)を学んだ寺島は、その後、20歳で『剣友会』に入る。時代劇での斬られ役や乱闘シーンのチンピラ役、さらにスタントマンとしてスターの吹き替えなどの仕事を続ける傍ら、’84年頃から端役でドラマに出演。松田優作の初監督映画『ア・ホーマンス』(’86年公開)でヤクザの手下役を勝ち取り、銀幕デビューを飾った。 「カットがかかると優作さんが駆け寄ってきて『いいなぁ』って肩を叩いてくれた。それが嬉しくてね。優作さんは大スターなのに現場全体に気を配り、若手の面倒見もよくて、人として本当にカッコよかった」 映画への出演を通じ、寺島は役者の仕事に斬られ役とは異なる魅力を感じるようになる。その後、北野武(77)の初監督作『その男、凶暴につき』(’89年公開)への出演を機に『剣友会』を辞め、フリーの役者に転身した。 「生活は苦しかったけど、アクションメインの仕事はすべて断わった。そうしないと、斬られ役のイメージが消えないから。なんせフリーランスだから、自ら制作会社にプロフィールを持って行って自分を売り込んで。アルバイトを掛け持ちして食いつなぎ、俳優だけで生計を立てられるようになったのは30代後半。不安はあったけれど、やめたいと思ったことは一度もなかったんだよね」 心の支えになっていた言葉がある。北野監督の3作目『あの夏、いちばん静かな海。』(’91年公開)に出演した際のこと。当時27歳だった寺島に、北野監督はこう言った。 「『あんちゃん、役者はいいぞ。役者って仕事は、死ぬまで現役でいられる。今売れてなくても、20年後、30年後に売れて死ぬ間際に天下を取ったら、あんちゃんの人生、勝ちだからよ』って。それを聞いて、俺はまだ売れてないけれど、役者を続けていいんだって思えた」 悩んだらとにかく動く。それが寺島のモットーだ。 「俺も自ら動いたからこそ、北野監督を始め多くの人との出会いがあった。それがなければ今の俺はいないからね」 時には仕事で渡米中の北野監督をアポなしで追いかけたこともあった。行動すれば何かが変わることを学んだのだ。 「この前、朝日新聞の『天声人語』を読んでいたら、ある報道番組の人気キャスターについて面白い記事があった。番組の視聴率が低迷していた時にその人はスタッフに二つのことを求めた。一つは、自分たちの裏番組をきちんと見ること。そして、もう一つは街を歩くこと。なるほどと思ったよ。街を歩けば、いろいろなことに気づける。そうやって自らの足で動くことで自分も変化していく。誰かがチャンスを与えてくれるのを待っているだけじゃ何も変わらないからね」 寺島の″守備範囲″は広い。『天声人語』について語ったかと思えば、編集部が持参したフライデーの表紙を見ながら「ああ、ゆうちゃみ(23)ね。共演したことないけど知ってるよ」とニヤリ。さらに、8月末に発生した広尾(渋谷区)のマンションでの殴打死亡事件に触れ、「これ、エアコンの設定温度が原因でケンカになって殺人事件に発展したんだってね。信じられねぇよ。老いも若きも我慢が足りないんだよな!」と呟いた。 ◆50代での学び 昨年還暦を迎え、「朝早く目が覚めちゃうんだよね」と笑うが、年齢を重ねることへの恐怖はない。「役柄で必要な時以外は白髪も染めないし、目元のシワも自分の経歴」と言い切る。一方で、俳優業を続けるための努力は惜しまない。 「50代後半にガクッと体力の衰えを感じて、スポーツジムに通い始めた。正直、それまでジムに行ってもたいして変わらねぇだろってナメてたんだけど、いやぁ間違ってた。トレーナーの指導を受けて有酸素運動や筋トレを続けたら、明らかに体形が変わって、50代後半でも身体は進化するんだなって思ったよ。ここでも自ら動いて変化を求めたことが功を奏したんだと思う」 長いこと独身を貫いてきたが、’09年、46歳のときに18歳下の一般女性と結婚。現在では、中学生の娘と小学生の息子を持つ父親でもある。 「子供たちには挨拶や基本的な礼儀についてはしっかり教えてきた。ただ、最近では立場が逆転しちゃってさ。この前、娘から『お父さん、そこは″ありがとう″って言ったほうがいいんじゃない?』って注意されたし、家でビール飲みながらツマミを食べてたら『クチャクチャ音立てて食べるのやめなよ』って。今や教育される側になっちゃってる(笑)」 40年のキャリアで役柄を通じさまざまな人生を生きてきた寺島。今後の目標について明かしてくれた。 「伊集院静さんの短編小説集『受け月』の中の一つに映像化してほしい作品があってね。具体的に企画が進んでいるわけじゃないんだけど、俺が親父役で息子役が竹内涼真(31)で……と、勝手にイメージしてる(笑)。ボケ防止のためにも、こうして自分のやりたいことを頭に浮かべてイメトレしておかないとさ」 目指すのは生涯現役だ。 「役者の仕事だけで生活できるようになった頃、北野監督に『テラジマは粘り勝ちだな』って言われて、感激したんだよ。監督が言っていたように役者には引退がなく、一生続けられる。だからこそ、これからも粘って役者を続けていく。それこそが俺の生きる道だからね」 天下を取るその瞬間まで、寺島は役者人生を全うする。 『FRIDAY』2024年11月1・8日合併号より 取材・文:音部美穂
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