上里町の偉人・西崎キク、日本人女性第1号の海外飛行から90年
上里町七本木(七本木村=当時)出身の郷土の偉人・西崎キクが日本人女性で初めて海外飛行して11月4日、90年がたった。(本庄経済新聞) 【写真】日本人女性初の海外飛行士・西崎キクが操縦した「白菊号」飛行航路 1912(大正元)年11月、松本佐平、タキの次女として生まれたキクは1929(昭和4)年埼玉女子師範学校・2年制を卒業し、同村立神保原小学校の教員になった。尾島飛行場で初めて飛行機に触れたキクは飛行士になる夢を抱き、教員を辞めて1931(昭和6)年、東京・深川の第一飛行学校に入学。1933(昭和8)年8月、二等飛行操縦士試験に合格し、日本人女性最初の水上飛行機操縦士になった。同年10月には生まれ故郷に訪問飛行した。 1934(昭和9)年6月に陸上飛行操縦士免許を取得したキクは同年10月、満州訪問飛行した。キクはサルムソン2A2型機「白菊号」を操縦して羽田飛行場から満州国の新京に向け飛び立った。羽田~新京間2440キロを14日間で飛行。途中、不時着というアクシデントがあったが、11月4日、新京に到着した。 日本人女性海外飛行第1号になったキクは翌年3月、国際航空連盟(本部=パリ)からハーモン・トロフィー賞と終身会員賞31号が贈られた。キクは「私はこの賞が何よりも好き。なぜなら、チャールズ・リンドバーグも同じ賞を受賞しているから」と話したという。 1948(昭和23)年3月に七本木中学校教員、1950(昭和25)年に七本木小学校の教頭に就任したキクは自身の体験を通して、「夢を持ちなさい。そのために一生懸命努力しなさい。そうすれば夢は必ず実現する」と話していたという。 キクのめいで本庄市在住の陶芸家・井上美千代さん(上里町出身)は「伯母のキクは手先が器用で活動的だった。一時期、わが家の庭の木の剪定(せんてい)に来てくれた。高いところが好きなようで、はしごで高い木の枝も切ってくれた」と振り返る。 上里町男女共同参画推進センター(七本木)では、西崎キクに関連する展示資料を見学できる。開館時間は9時~17時15分(日曜・祝日除く)。 本庄上里学校給食センター(本庄市小島南1)では来年1月下旬、西崎キクにちなんだメニューの提供を予定している。同センターの加藤久美子所長は「給食を通じて、郷土愛がより深まってくれれば」と期待を寄せる。
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