石田靖は常に全力投球 熱意に押された先輩が「よっしゃ!石田の気の済むまでやろ!」と(本多正識/漫才作家)
【お笑い界 偉人・奇人・変人伝】#219 石田靖 ◇ ◇ ◇ 「探偵!ナイトスクープ」「開運!なんでも鑑定団」などでもおなじみの、石田靖くんは京都産業大学在学中にオーディションに合格して吉本に所属しました。今ではNSCに入学する人がほとんどですが、オーディションで採用されたのは、やはり光るものがあったのでしょう。 【写真】吉田裕はホントに「芝居バカ」 アドリブから生まれた“乳首ドリル”は実は努力の賜物 新人の頃は大学のアマチュアレスリング出身で礼儀正しく、大きな声で存在感は抜群。「スケールの大きい元気な子が入ってきたな」という印象でした。裏表のない性格と持ち前の人懐っこさで先輩たちにも可愛がられ、ほどなくしてレギュラー番組を持つことに。バラエティー番組では何度も仕事をしましたが、真摯に生真面目にそして大胆な彼のいる場所はいつも明るく元気な空気で満たされていました。 1989年から始まった「新喜劇やめよッカナ?キャンペーン」で吉本新喜劇に参加。私も翌年から新喜劇を書くようになり“武闘派”の石田くんと思いもしなかった“タッグ”を組むことになりました。特に座長になってからは、ストーリー展開はもちろん、その場その場のお芝居にも「完璧」とはいわないまでも常に「よりよいもの」を求めて詳細で緻密な打ち合わせ、綿密な稽古が続きました。私も“ダメ出し”を数多く受けました。お笑いに正解はないので「より面白い」と思うことを人一倍追求する石田くんの姿勢が好きでした。 アマレス出身の石田くんは元々のパワーが違うので、普通に頭を叩くツッコミのつもりが、相手が一瞬脳振とうを起こしたように固まってしまったり、コメディーでは布団をかぶって隠れているハイヒールのリンゴちゃんに座卓から思い切りダイブし、左手首を骨折させたりと常に全力投球。それでもみんなは「ちょっとは加減せえよ!」と言いながらも一生懸命にやった結果やから“しゃーないな”と好意的に受け止めていました。 吉本新喜劇では意図的な話の強引さや展開の早さはつきもので、それがまた笑いを生んでいくのですが、石田くんは納得がいかないと先輩方にも「すいません。もう一度お願いします!」「ここは強引すぎると思いますんでもうちょっと考えましょう!」と頭を下げて訴えます。 「これでええんちゃうのん?」と最初は渋っていた先輩方も次第に熱意に押されて「よっしゃ! 石田の気の済むまでやろ!」と稽古時間が長くなるのを承知で、みなさん快諾して付き合って一緒に考えてくださるようになりました。これも石田くんの人柄の良さがあったからでしょう。 ある時、伊丹空港から難波まで石田くんの車に同乗させてもらい、私の「石田靖のポジションを確立したな」という問いかけに「よう言いますわ! 僕ら頂いた仕事を一生懸命やる、それだけですよ。先生は体を大切に元気でおってくださいよ! よう体調崩すねんから、あきませんよ!」と大笑い。いつも心優しい石田くん。これからも元気でお茶の間に明るい笑顔を届けて欲しいと思います。 (本多正識/漫才作家)