「刀伊」来襲で老人や児童は斬殺、400人以上拉致されるも対応に遅れ…『光る君へ』で竜星涼さん演じる藤原隆家らは外敵とどう戦ったか
『源氏物語』の作者・紫式部(演:吉高由里子さん)の生涯を描くNHK大河ドラマ『光る君へ』(総合、日曜午後8時ほか)。ドラマでは藤原道長と伊周の権力争いが描かれましたが、伊周の弟・隆家が花山院に矢を放った「長徳の変」をきっかけに、兄弟は力を失っていきます。しかしその隆家、実は日本を救った英雄と言われているのはご存じでしょうか? 道長の全盛期に九州へ異民族が襲来。老人・子供は殺害、壮年男女が捕虜として連れ去られました。特に対馬・壱岐は壊滅状態に…。突如瀕した国家の危機に対応、外敵を撃退したのが隆家だったのです。歴史学者・関幸彦先生の著書『刀伊の入寇』よりその一部を紹介します。 花山院に矢を放った伊周・隆家兄弟は「左遷」。左遷先で彼らがどんな扱いを受けたかというと… * * * * * * * ◆対馬・壱岐への侵攻 そもそも刀伊の入寇とは… 藤原道長が栄華の絶頂にあった1019年、対馬・壱岐と北九州沿岸が突如、外敵に襲われた。東アジアの秩序が揺らぐ状況下、中国東北部の女真族(刀伊)が海賊化し、朝鮮半島を経て日本に侵攻したのだ。 道長の甥で大宰府在任の藤原隆家は、有力武者を統率して奮闘。刀伊を撃退するも死傷者・拉致被害者は多数に上った。 ーーーーー 寛仁3年(1019)3月末より、対馬・壱岐から北九州一帯を襲ったこの外寇事件について、基本となる『朝野群載』(平安後期に編纂された詩文・文書集)を参考にしながら跡付けていこう。 寛仁3年3月28日、刀伊の兵船五十余艘が突如、対馬に現れ、殺人・放火をほしいままにした。 同じ日、壱岐も同様に彼らに攻略されるところとなった。
◆刀伊による横暴 この突発的な「賊徒」の来襲は即日、対馬から通報がなされ、4月7日に大宰府に伝えられた。また壱岐島分寺講師(国分寺に置かれた僧侶)の常覚も、単身脱出して同じ日に大宰府に着き、壱岐守藤原理忠以下、多くの島民が殺されたことを報じた。 刀伊の兵船は、大宰府に一報が伝えられた4月7日には既に筑前(福岡県北西部)の沿岸に現れ、怡土(いと)・志摩・早良(さわら)の3郡に侵攻。「人・物ヲ奪ヒ民宅ヲ焼ク」などの横暴をなした。 賊徒の船の長さは12尋(ひろ)から8~9尋で、船には楫が三、四十ばかり取り付けられ、五、六十人から二、三十人の人々が乗船していた。 彼らは刃を振り回し、弓矢を持ち、楯を保持していた。 戦闘部隊が繰り出され、山野を駆け、乱暴を働いた賊徒は、牛馬を殺し食すなどの横暴に及んだ。 また老人や児童は斬殺され、「男女ノ怯者(抵抗しない者)」は船に載せられ、数は四、五百人に及んだ。さらに各地で穀米が奪取され、被害は甚大だったという。
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