沖縄での瞬間最高視聴率が95%! 5000人のファンがホテルに! 国民的俳優の伝説的パニック現場の真相
---------- 『日本沈没』『砂の器』『八甲田山』『人間革命』など大作映画に主役級として次々出演し、出演者リストの最後に名前が登場する「留めのスター」と言われた、大俳優・丹波哲郎。 そんな丹波が、「霊界の宣伝マン」を自称し、中年期以降、霊界研究に入れ込み、ついに『大霊界』という映画を制作するほど「死後の世界」に没頭した。なぜそれほど霊界と死後の世界に夢中になったのか。 数々の名作ノンフィクションを発表してきた筆者が、5年以上に及ぶ取材をかけてその秘密に挑む。丹波哲郎が抱えた、誰にも言えない「闇」とはなんだったのか――『丹波哲郎 見事な生涯』より連載形式で一部をご紹介。 ---------- 丹波哲郎が女優達にかけていた催眠術の真相。共演する女性に愛されるワケ
伝説のテレビドラマ
毎週土曜日の夜9時にテレビをつけると、丹波哲郎が画面に出てくる。 1960年代後半から80年代前半にかけての週末には、そんな光景が全国で見られた。 丹波をリーダーとする警察ドラマ『キイハンター』の放映開始から、『Gメン'75』とその続編『Gメン'82』の放映終了までが、テレビ界における丹波の全盛期である。15年ものあいだ、丹波は「土曜夜9時の男」と呼ばれた。 『キイハンター』で丹波の部下役になった谷隼人は、回を追うごとにロケ見物の人だかりが膨れあがっていく様に圧倒されていた。 特に1968年の沖縄ロケは、のちのちまで語り草となる。本土復帰の4年前で、沖縄はまだアメリカの統治下にあった。 丹波は、「沖縄に行ったら、子どもに気をつけてください」と制作担当者から注意を受けていたが、べつだん気にもとめなかった。那覇に到着して、その意味がわかった。 人気スターたちの姿をひと目見ようと、子どもを中心に5000人もの人々が、丹波らの宿泊するホテルに押し寄せた。ホテルの中庭にまで女性ファンがなだれこみ、塀の上はおろか庭木の枝にも少年たちがよじのぼっている。のちの谷夫人で、沖縄編にゲスト出演した松岡きっこは、「鈴なり」の意味を初めて実感した。 ひしめき合う群衆の圧力で、ついにはホテルの塀が崩れ落ちてしまう。 「このままパニックになったらどうしよう」松岡は本気で怖くなった。