外国人労働者を捨てる国、捨てられる国 首都大学東京教授・丹野清人
1.1990年の入管法改正と日系人労働者
日本の外国人労働者問題と1990年の入管法改正は大きく関係している。入管法は1981年に「出入国管理および難民認定法」として施行された。それまで、日本は出入国管理を法務省令で規定していたが、1982年に国連の難民条約に日本も批准することが決まっており、また現実に長崎県にベトナム戦争終結時の混乱から逃れだしたボートピープルが漂着し、こうした者たちへ対処する根拠法が必要であったこともあり、入管法が制定された。 当初は外国から来る外国人労働者への対応というのはあまり考慮されてはなかった。それが、1980年代後半に一気に円高が進んだこともあって、外国人労働者の入国が顕著になった。労働者を集められないことによって企業が倒産する「労務倒産」が社会問題となったころだ。 この時期に急速に増加したのがアジアからやってきた外国人労働者であった。働き手の見つからない空き仕事(専門的には「空き雇用」という)に、吸引されるような形で増加していった。40代以上の人ならば、週末になると代々木公園や上野公園に多くの外国人労働者が集まっていた風景を見たことがある人は多いだろう。 ちょうど、入管法の大きな改正の時期とも重なって、この時期に日本の労働市場を開国するのか、それとも鎖国したままで進むのかが大きな問題となり、国会でも議論されていた。当時の労働省は「労働許可制」を導入して、外国人労働者の選択的導入も検討していた。結局、労働許可制は国会の中での議論でも認められることはなく、日本はそれまでと同様に外国人労働者の導入は見送る鎖国政策をとり続けることになった。 しかし、現実問題として労務倒産が発生するほどに人手不足は深刻化していたし、空き雇用はなくなっていない。こうした状況下で、労働者を受入れたのではなく住む人を受入れ、日本に住み続けるための金銭の獲得手段は認めるとして、在留資格「定住者」での日系人の受入れが始まった。国は単純労働力確保のための手段ではないとしているが、当時の国会の議論や入管行政の雑誌である『国際人流』(入管協会発行)を見ていると、定住者が日本で働くことは当然のこととして受け止められている。