「自分の夢より皇室全体のことを考え」愛子さま、天皇家出身で“史上初”の就職決断のワケ
愛子さま赤十字大会で裏方か
ただ、宮内庁OBによると、 「愛子さまが赤十字大会に何らかの形で関わる可能性は高いと思います。というのも、三笠宮家の次女、瑤子さまは'06年から6年間、日赤に常勤嘱託として勤務されていたのですが、その間、同大会では登壇者の案内係を担当するなど“裏方”のお仕事もこなされていたからです」 前出の山下さんが話すように、愛子さまは'22年の成年会見で、 「私の親しい友人にも、東日本大震災で被災した福島県の復興支援にボランティアとして携わっている友人がおりまして、私自身、災害ボランティアにも関心を持っております」 と、福祉活動に高い関心を示されていた。 もちろん、福祉に関する団体は他にもあるが、美智子さまや雅子さまが名誉総裁を務められ、そのお姿を見てきたことが、日赤就職の決め手となったのかもしれない。 '09年の全国赤十字大会に出席し、美智子さまと交流した『高山赤十字病院』の医師・ 白子順子さんに話を聞いた。 「アフリカ南部にあるジンバブエという国で国際救援したときの話を医師代表として講演させていただきました。その後、懇談の時間があったのですが、美智子さまはジンバブエでの活動にご関心が高く、単に“お疲れさま”ではなくて“どんな患者さんがいましたか”“具体的にどちらで活動されていたのですか”など、具体的な質問を受けました。長らく赤十字の活動に寄り添われた美智子さまだからこそ、“支援したい”という思いがひしひしと伝わってきたことを今でも覚えています」
美智子さまが雅子さまに“バトンタッチ”
昭和34年から副総裁、平成に入ってからも約30年間にわたって名誉総裁を務められた美智子さまが雅子さまに“バトンタッチ”をされた場面は、今も語り草となっている。 「'18年5月に開かれた赤十字大会は、美智子さまが名誉総裁として出席される最後の大会でした。その際、式典のフィナーレで美智子さまが雅子さまをおそばに呼び、“来年から、この方が名誉総裁ですよ”というように、会場で“お披露目”をされたんです。すると、会場からは万雷の拍手が湧き起こり、驚いた雅子さまもすぐに笑顔に。この出来事に雅子さまはいたく感動されたそうで、現在も療養中ではあるものの、令和でのご活動に励まれる“原動力”になっているんだとか」(侍従職関係者) この翌年、雅子さまが日赤の名誉総裁として初めて出席された赤十字大会、そして昨年に開かれた『フローレンス・ナイチンゲール紀章』の授与式にも出席した、訪問看護師で東京女子医科大学の非常勤講師・秋山正子さんは「雅子さまから穏やかな空気を感じた」と明かす。 「'19年の大会では直接、雅子さまが胸に紀章をつけてくださり、お優しい表情を拝見して感激しました。その後の懇談会でも、出席者たちのお話に頷かれながら耳を傾けているご様子が印象的でしたね。ナイチンゲール紀章の授与式では、以前よりも柔らかい雰囲気を感じました。 おそらく、'19年は上皇后さまから引き継がれたことで、少し張りつめておられたのかもしれません。 私は福祉を含んだ分野で仕事をしてきましたので、愛子さまが日赤に就職され、福祉を担われることは、とても心強いです。先日も、赤十字社の本社にご両親と訪問されたニュースを拝見しました。感慨深い思いでいっぱいです」