間宮祥太朗×佐藤二朗×DJ松永、映画『変な家』鼎談 R-指定との同居エピソードから演技論、ゾクッとミステリーの魅力まで
■自然に演じたつもりが「無機質に」 間宮&佐藤はハマっていたと絶賛
――DJ松永さん、演技の仕事はいかがでしたか? 【松永】声をかけていただいたこと自体、とてもありがたいことでした。普段、音楽をやってる身としては、(映画撮影の現場は)経験しようと思ってもなかなかできることではないのですし、何かしら理由があって、僕にこうしてほしいというビジョンがあって声をかけていただいたんだろうな、となるべくポジティブに想像して、ありがたくお受けさせていただきました。勉強させてもらいに行った感じですね。 ライブする時と重なると言ったらおこがましいですが、通じる部分があるな、と思うんですよね。もちろん皆さんの期待に応えることが一番ですけど、持って帰れるものもありますし、人としてありがたい経験をさせてもらっているな、と思います。 【佐藤】そんな話、したよね? 【松永】しましたね。 【佐藤】音楽と芝居の違いみたいなことを松永くんが聞いてきて。 【松永】興味あったので。 【佐藤】僕もちゃんと答えなきゃと思って。音楽と芝居の違いというか、役者ってこういうことなんですとか話すと、「そうなんすか!」ってすごく熱心に聞いてくれました。 【松永】ライブでも大きなステージでやる時の所作と、小さいステージでやる時の所作は変わってくるって。 【佐藤】そんな話もした。 【松永】小さいところで動きを大きくするとちょっとトゥー・マッチになっちゃったり、大きいステージで渋めの動きをしちゃうとショボく見えたり。テレビのスタジオで収録する時もオーバーにやりすぎると、オンエアを見て「なんかやりすぎてるな」って感じることもあって。そのチューニングがすごく難しいな、と思っていたんです。 【佐藤】僕は音楽のことはわからないけど、松永くんにお話させてもらったのは、『北の国から』の演出をされていた杉田成道さんの受け売りで、役者の中にも舞台を中心にやってきた俳優が映像の仕事をする時に、どうしても陥りがちな状態の話。例えば、焦った演技をする時に、映像ではアップで撮った喉仏が動いただけでも「こいつ焦っているな」と伝わるけど、舞台ではそんな小さな動きでは伝わらない。それくらい違うものだから、映像作品で舞台と同じ演技をしたら大げさになってしまうと思って、動きを小さくしようとしがちなんだけど、小さく、小さくと思うあまり、気持ちの起伏まで小さくなっちゃっている、と杉田さんはおっしゃって。それは違うよ、と。気持ちの動きは、舞台だろうと、映画だろうと、ドラマだろうと全部一緒だからって。それを聞いて、ちょっと救われた気がしたんですよね。僕も舞台出身だったから。今でもよく覚えています。 【松永】撮影の時、自分なりに自然にやろうと思って、自然にやったつもりなんですが、完成した映画を見たら、無機質な人に見えたんですよね。想像していたものと全然違いました。 【間宮】松永くんに限らず、俳優が本業ではない人がキャスティングされるのは、演技力の前に、人として被写体として魅力的であることが大前提としてあると思っています。ご本人が演技をすることに前向きなのかもわからない中で、それでもキャスティングして役にはめたいと思うのは、作品に対して絶対プラスになるという意図、自信があるからなんじゃないかなと。俳優を生業としている人には出せない、特筆すべき醸し出すオーラがあるからだと思います。それでいうと松永くんは「無機質に見えた」というけれど、マネージャーとして雨宮と同じ方を向いてるようで、全然向いてない柳岡というキャラクターにぴったりだと思いました。 【佐藤】柳岡っぽかったよね、無機質な感じが。 【間宮】雨宮に「次の動画は当ててよ」って言ってはいるけど、ぶっちゃけ当たっても当たらなくても俺の生活にあまり関係ないんだけどね、みたいな。 【佐藤】そうそう、柳岡の言葉には心がないというか、それがまさに無機質な感じとハマったかもよ。 【松永】そういう風にも見えるんですね。 【佐藤】こいつあんまり真心こもってないなって、見てて思ったもん。 【松永】なるほど…。でも、難しいですね。